馬車が渡る下川町の涙橋
下川町にあった「涙橋(なみだばし)」とは…。
今回は下川町西町在住の北村英さん(2019年当時89歳)に聞いた「馬との思い出」を紹介する。
北村さんは、7人きょうだいの末っ子として下川町で生まれた。「馬は家族であり、欠かせない動力。農業も林業も移動・運搬も、馬が主体だった。馬がいたから、今の人々の暮らしがある」と振り返る。
戦時中、働き盛りの男性は兵隊として徴収されていたため、当時、小学生だった北村さんも農作業に尽くした。姉と2人一組になり、馬を追う役、プラウを持つ役を担いながら田畑を耕した。
「馬は人をよく見て技量を試す。技量がないと分かると、隣の敷地へ移動する際も、わざとあぜにプラウが引っかかるように止まって困らせる。冬に造材で山へ出掛けた馬は、体もしっかりしていて、農耕の作業にも余裕があったと思う」と言う。
戦時中、下川町も軍用に適した馬が徴収され、北村さんの家からも連れていかれた馬がいた。
北村さんは20代から50代の頃、町内一の橋の「平木材」に務め、冬場になると造材のため、馬に引かせたそり(バチバチ)に乗って山へ入った。出稼ぎの人々は自身の食料や道具に加え、2、3カ月分の馬の餌(刻んだわら)を梱包して積んで行き、山で多くの原木を積んで運び出した。重い荷物を引きながら急傾斜を下り、危険の連続だった。
馬力と人力の時代。下川町市街地の国道に「涙橋(なみだばし)」と呼ばれる橋があったそう。亡くなった方の入ったひつぎを、身内が担いで橋まで運んだ後、他の人たちが馬車で墓地まで運んだため、身内にとっては亡くなった方との別れの場となった。
北村さんの家族のエピソードで、飼っていた馬の中には、馬栓棒 (ませんぼう=出口をふさぐ棒)を自分で外して小屋を出て、住宅のドアを開けて玄関に入り、家族にバケツへ水を入れてもらって飲み干すと、そのままバックで出て、小屋に戻る馬もいたらしい。
<今回は名寄新聞の2019年6月25日付掲載記事を基に再構成しました>
道北の求人情報
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
1級土木技術者
300,000円〜400,000円
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
2級土木技術者
250,000円〜330,000円
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
舗装技術者(1級資格保持者)
300,000円〜380,000円
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
舗装技術者(2級資格保持者)
240,000円〜330,000円
北海道名寄市東4条南9丁目4-9
大沼左官工業 株式会社
北海道名寄市東4条南9丁目4-9
変形労働時間制
左官工
168,000円〜306,600円
名寄新聞を購読希望の方は
名寄新聞 購読料のご案内通信員募集のお知らせ道北ネット ビジネスデータ トップページに戻る
愛馬と触れ合う園児たち
愛馬と触れ合う園児たち