1992年発行 〝稚高新聞〟を読み解く 遺族や市民の思い掲載
大韓航空機撃墜事件から9年後の1992年、稚内高校が発行した「稚高新聞」。「モネロンの海に消えた269の命」と題し特集記事を掲載。犠牲者や遺族に寄り添う、稚内市民の取組みや思いなどに迫った内容だ。
育英館大学の但田勝義教授による公開講座で、稚高新聞のコピーを使い、記事など紙面の内容を紹介。原版はかつて子育て平和祈念の灯実行委員長を務め、2021年に亡くなった田中俊美さんが所有していたものだった。 現在、同実行委員長の但田教授は「この稚高新聞は当時の生徒が自らの足で関係者や遺族に会い、話を聞いて記事を書いた」と。紙面では、当時の浜森辰雄市長が「国を代表してやったこと。4㌔は痩せました。対応を誤ったら日本が避難されていた」などと胸の内を語っている。
このほか、稚内を訪れた犠牲者の家族が生存を願って「私達は遺族ではない」と述べていること、稚内市が捜索活動に全面的に協力したこと、大勢の報道陣や打ち上げられる遺品などのまちの様子を伝えた。当時の生徒は「平和の意味を認識した」などと取材活動を通じ、率直な思いを書き綴っている。
(梅津眞二)
Web掲載日2023年7月31日
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