名寄川堰堤の仮設プールを会場に開催予定だった“市民カッパ祭り”が、小児マヒの流行により、急きょ中止することと決まった。
記者からの一言
小児マヒ(ポリオ、急性灰白髄炎)の集団発生は、1960(昭和35)年5月、夕張市で発生した小児マヒは瞬く間に道内へ広がり、旧名寄市でも同年6月13日を皮切りに広がり、約50人が感染、肢体不自由児が続出、死者をも出した。
当時、日本には小児マヒに必要なワクチンがなく、アメリカから輸入されたものの量が不足。ワクチンの代用薬としてガンマグロブリンの手配を厚生省(当時)に要請。それでも圧倒的に足りず、名寄では希望者が4倍の競争率に達したことから、発生地区を優先、一般は抽選で決めることとなった。
一人分の接種料は1050~1400円。当時の理髪代が160円だったことから、高額だったといえる。
その後も、ワクチン接種やDDT散布の一斉消毒などを実施。患者の出た家庭の児童、生徒の登校を停止した。この記事を見ると、疫病発生でイベントが中止され、ワクチン接種、出席停止など、今のコロナ禍と重なる部分がある。
小児マヒは、1988(昭和63)年にWHO(世界保健機関)により「世界ポリオ根絶計画」が提唱されて以降、症例数および流行地域は着実に減少。海外の一部地域では依然として流行している地域があるものの、日本では1980(昭和55)年の1例を最後に、野生のウイルスによる新たな患者は出ていない。
しかし、当時の人たちのことを思うと大変つらい日々を過ごしていたことと思う。
コロナウイルス感染症も、一日も早く終息することを願うばかりである。
名寄新聞1960年8月10日付掲載 Web掲載日2022年8月11日
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