戦後、雄武~北見枝幸間の着工に向けた陳情が再開。満州(現・中国東北部)や樺太(現・サハリン)からの引き揚げ者がオホーツク海沿岸に入植し、開拓地への便宜を図るため、興浜線の全通が必要とされた。1966年(昭和41年)5月25日、雄武町内で起工式が行われ、雄武~北見音標間(18.5km)の建設工事がスタートした。
日本鉄道建設公団雄武鉄道建設所により、雄武トンネル(325m)や橋梁39カ所を含む路盤工事を実施。67年に雄武市街地(雄武トンネルは67年8月完成)、68年に元稲府、69年に北見音稲府、70年に北見幌内付近の路盤を造成し、当時は71年秋に雄武~北見音標間の開業、75年(昭和50年)には北見枝幸までの全線開業を予定していたという(実際には開業せず)。
その間、国鉄はローカル線の赤字や幹線の輸送増強費用がかさむなどして、64年度から赤字決算が続いたため、67年10月26日、採算性の悪い赤字路線の廃止方針を打ち出した。国鉄総裁の諮問機関であった国鉄諮問委員会は68年9月4日、「赤字83線」を発表し、その中に興浜南・北線とも含まれた。
この事実は雄武~北見枝幸間の工事進捗に影響を与えた部分もあったと考えられるが、国鉄が赤字路線を廃止しようとする一方で、鉄建公団は採算性の低いローカル線の建設を進めていたため、矛盾する格好となった。
こういった背景からも工事の進捗が遅れ、70年度(昭和45年度)当時の総事業費は41億円が見込まれていたが、同年度までに投入されたのは7億8900万円にとどまっていた。73年までに雄武~北見音標間の路盤や橋梁、雄武トンネルが完成した。
北見音標~北見枝幸間(33km)については、58年に測量を実施し、地形図を作成、ルート選定を行ってきたが、69年から測量を再開。74年5月31日、工事実施計画が認可され、当時は80年(昭和55年)の全線開業を予定していた。
75年に測量、設計を行った後、76年に西音標付近、78年に風烈布付近の路盤工事に着手。77年時点では用地の19%を確保し、路盤の6%が完成していた。
雄武~北見枝幸間(51.5km)には、雄武側から元稲府、北見音稲府、北見幌内、枝枝幸(以上雄武町)、北見音標、風烈布、乙忠部、北見山臼、徳志別、岡島(以上枝幸町)の10駅と南枝幸信号場が予定されていた。南枝幸信号場は同じく未成に終わった美幸線との分岐点で、北見枝幸まで美幸線と重複する計画だった。橋梁は114カ所に上った。
北見音標~北見枝幸間が未着工だった70年4月、鉄建公団は「雪に強い新幹線をつくるため、北海道の興浜線にテスト用の実験線を設けたい」と、同区間で新幹線の実験線を設置する構想を打ち出し、沿線自治体も実験線の誘致に乗り出した。
当時、新幹線は東海道新幹線(東京~新大阪間)しか開業していなかったが、新幹線網は全国にわたって延びる計画だった。ただ、雪の多い地域を高速で走るためには技術的に未知の部分が多かったことから、雪対策を検証するための実験線の設置を検討した。
北見音標~北見枝幸間を選んだ理由として「オホーツク海に面して気象条件が厳しい」「地形が平坦でテストに適している」「積雪量もそれなりにある」が挙げられた。
新幹線の実験線は71年に着工し、72年秋までに完成。72年と73年の冬にテストを実施し、安全に高速で走行するための車両やパンタグラフの構造、架線の張り方、除雪方法などを研究するという計画だった。
新幹線は標準軌(軌間1435mm)であり、在来線の狭軌(軌間1067mm)とは軌間の幅が違うため、テスト終了後、実験線のレール(標準軌)は撤去し、興浜線用にレール(狭軌)を敷設し直す必要はあるが、路盤はそのまま転用できるため、工事の進捗や全線開業の時期が早まると期待された。しかし、鉄建公団と国鉄の協議は進まず、実験線が実現することはなかった。
一方、開拓地では当時、離農者が相次ぐようになった。土地改良や酪農振興、機械化などの開拓推進策は行われていたが、気候が厳しいため、冷害や凶作も続き、営農環境も厳しかった。
このような背景もあり、過疎化が進むとともに、興浜線の工事進捗にも影を落とすことになった。
(続く)
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