元名寄岩を惜しむ 不屈の努力貫く
元大関の名寄岩(本名・岩壁静男)が1971年(昭和46年)1月26日、逝去した。56歳だった。
(記者からの一言)
名寄岩は1914年(大正3年)9月27日、高島村(現・小樽市高島)の生まれ。生後10カ月で家族とともに名寄へ移り住んだ。
両親と同じ鍼灸師を目指し、31年に上京。翌年、鍼灸師の免許を取得して帰郷しようとしたところ、立浪部屋からスカウトされた。
32年夏場所で初土俵を踏み、35年春場所で三段目優勝、36年春場所で幕下優勝。37年春場所で新入幕となった。
戦時中の43年春場所で大関に昇進したが、在位3場所で44年夏場所で関脇に陥落。戦後の46年秋場所で大関に復帰したが、糖尿病、腎臓病、神経痛などに見舞われ、48年夏場所で再び関脇に陥落した。
50年夏場所には前頭14枚目まで下がったが、9勝6敗の成績で敢闘賞を受賞。52年秋場所では千代の山から金星を奪い、2度目の敢闘賞。53年春場所で関脇に復帰した。
不屈の努力がたたえられ、映画「涙の敢斗賞」が制作。54年秋場所千秋楽に40歳6日で引退。60年後の2014年秋場所7日目に旭天鵬に更新されるまで、戦後の幕内最年長出場記録だった。引退後は年寄・春日山を襲名した。
しこ名を通して「名寄」のまちを全国に広めることに貢献。郷土の力士として語り継がれている。
Web掲載日2023年1月26日
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