日本海へ“夢の跡”~幻の鉄道「名羽線」 名羽線開業に期待をかけた名寄市 上川北部と日本海沿岸地域の経済交流へ
1974年(昭和49年)4月27日付の名寄新聞に、名寄市の広報として「みんなの市政」と題し、名寄市の地域開発の展望が掲載された。
その中で名羽線の建設にも触れられており、当時の営業開始予定は77年(昭和52年)とされた。
全線開業することで道北地方の日本海とオホーツク海を結ぶ最短線となり、地下資源や林産資源の開発が進むとともに、名寄を中心とした内陸工業地帯の発展が期待された。
さらに道東や大雪山観光と連携した道北循環ルートが確立され、年間300万人以上の観光客入り込みも予想した。
当初は羽幌炭砿の石炭運搬を最大の目的として、名羽線の建設工事が進められていたが、70年(昭和45年)11月に羽幌炭砿が閉山した後は、林業や観光開発に目的を切り替えたことが読み取れる。
その後、80年(昭和55年)から工事が凍結され、全線開業の夢は消えたが、74年当時はさまざまな期待をかけていた。
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