羽幌炭砿の閉山により石炭輸送の目的はなくなった一方、羽幌港の拡張整備と並行して物流を支える重要産業路線として期待をかけ、工事は続行していた。 その裏で国鉄は赤字決算が続き、膨大な負債を抱えて問題とされ、運輸省は日本鉄道建設公団に対し、79年度の地方開発線(A線)、地方幹線(B線)の予算を凍結。ローカル線建設に逆風が吹いた。 鉄建公団は全線開業後の推定輸送密度と79年時点の着工率で予算配分のランク付けを行い、凍結が解除された。
A線の名羽線は、推定輸送密度が200人、着工率は51%にとどまっていたため、ランク付けでは最低の第4グループとなり、工事継続に必要な予算配分に抑えられ、79年度当初予算は前年度比3億円減の3億5千万円とされた。 78年度の残予算2億6700万円などと合わせて79年度工事費は6億7千万円となったが、その後、79年度分のAB線予算は再び凍結。名羽線は予算ゼロとされた。 79年度には中の二股川橋梁(106m)、第1中の二股トンネル(910m)の本体工事、幌加内町・羽幌町境界の苫竜トンネル(3225m)の測量が計画されたが、78年度の残予算で施工せざるを得ず、予定通りには進まなかった。80年度も予算ゼロで、工事は休止された。
80年12月27日、国鉄再建法が施行され、工事は凍結。この時点での工事進捗率は用地処理85%、路盤工事82%、軌道工事14%だった。
第1二股川橋梁(186m)、中の二股陸橋(66m)など橋梁11カ所の上部工、苫竜トンネルとその付近5kmほどの路盤、白地畝信号場が未着工で、第1中の二股トンネルは一部着工して凍結。測量は未着工部分でも行われていた。 苫竜トンネルは、測量が行われた後、工事用道路の建設や起業工事は着手し、坑口ではないかと推測される位置では樹木が伐採されたり、坑口幅分だけ斜面が削り取られたような跡があるが、トンネル本体工事は未着手だった。 白地畝信号場も、測量が済み、用地が確保されていたとみられるが、実際には着工されておらず、予定地は判然としない。
その地点間の未着工部分に白地畝信号場や苫竜トンネルが予定されていた。 78年時点での総事業費は119億円が見込まれ、工事凍結の80年までに78億円が投入された。 82年には鉄建公団羽幌鉄道建設所が閉鎖され、工事再開の見通しは消えた。
路盤は、羽幌側が第3白地畝トンネル(410m)朱鞠内側坑口付近まで、朱鞠内側は深名線分岐から8kmほど羽幌方面へ進んだ地点まで残っている。
(続く)
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