北の地名寄で続く制作活動 作り手が魂を込める 面打師・松本冬水の世界
道産のカツラ材にこだわり
能楽というとテレビや本でしかなじみがなく、ましてや能を舞う時にかける能面も写真以外では見ることもなかった。それはとても敷居の高い世界のような気がした。この能面を名寄で打ち続ける人物がいる。面打師 松本冬水。
松本さんは自然に囲まれた静かな名寄市日進の田園地帯で暮らす。ここに住み35年、能面を打ち45年。通された工房はこぢんまりとした空間。だが、さまざまな道具が整然と壁に並べられ、道具への強いこだわりが感じ取れる。
まず興味を引いたものは、素材となる四角く木取りされた木片。能面はヒノキを使うことが主流というが、松本さんはあえて道産のカツラを使用。地産へのこだわりも感じられる。その材は「この木片から能面ができるのですか?」と思わず聞いたほど、想像していたものよりもずっと小さく軽く感じる。能面はこの四角い木の材を彫って作り上げていくものだが、作り手が魂を込めるという意味で「彫る」や「削る」ではなく「面を打つ」と言い、能面を作る人のことを「面打師」と呼ぶ。この材から打たれる面というものは、どのようなものだろうか。想像が膨らむ。
女性面「小面」
最初に見せていただいた面は「小面」(こおもて)という女性の面。写真では見たことがあるものの、実物を見るのは今回が初めて。面は想像していたよりもずっと小さく、そこに別世界を感じてしまうような不思議なオーラを放っている。笑っているようにも見えるが、悲しいのか、つらいのか分からない表情の面というのが第一印象。面の多面的な表情は、左右や上下が非対称であることから生まれるとのこと。面の不思議さ、奥深さはここから生まれると松本さんは言う。「この小面の面が最も好きな作品の一つ」と目を細める。膨大な作業工程を経て打たれた面は、作り手の魂がこもっていると言われるが、本当にその通り。実際に目の前にすると、面から受けるものは表現しがたいものがある。そこから受ける迫力とは裏腹に、面を手にしてみるととても軽く量感はないほど。
この不思議な表情の面をかけて舞う能楽というものは、見るものを現実とは違う異次元の世界に引き込む力があるということを、面と向き合いながらひしひしと感じ取れた。その後も自宅に保管されている男面・女面・翁面・鬼神面など、さまざまな種類の面を見せていただき、面が放つ独特の世界観を味わうことができた。
ひたむきな探求心
松本さんはかつて、面を打ち始めると工房にこもりきりとなり、外の空気を吸うのは 2週間に一度ほど、それも玄関先で。それほど面打ちに集中する。松本さんの面打ちへのひたむきな探求心には驚かされるばかり。「何のために面を打つのか」ということは考えたこともなく、ただ「もっといいものを作りたい」との思いのみがそこにあるという。「今はやっと基本がわかるようになったからこそ、何物にも捕らわれることなく自由に面を打つことができる」。独学で面を打ち続けてきた松本さんだからこその奥深い言葉であろう。77歳になった今は、年に数枚のペースで打ち、また、制作依頼を受けて仏像や自身も好きな長管尺八なども作る日々という。
物づくりに最適な静かな環境
松本さんが居住する日進は静かで落ち着いており、すぐそばには森が広がり、まさに自然の中の暮らしと言える。松本さんはこの日進での暮らしがとても気に入っているという。周りに余計なものがないことで、何物にもとらわれることなく自由に創作に没頭できると笑みを浮かべる。
現在は面打ちのみならず、趣味の世界にも没頭。12年前から始めた写真は雄大な自然の姿を収めることから入り、今は昆虫に夢中とのこと。自宅周辺や日進で撮影されたコレクションの数々は、宝物のようにアルバムに整然と納められ、それをうれしそうに見せて下さいました。
かつて松本さんは8年ほど新得の山奥で自給自足の暮らしをしていた。その延長線上に、この静かな日進での暮らしがあるように思う。面はもちろん、絵や彫り物、写真などさまざまなことに興味を持って没頭し、それらを極めていく。尽きない探求心を持つ松本さんは、年を重ねた今でも少年のような心で人生を楽しんでいると思わずにいられない。
見せていただいた能面の数々、ことに女面の代表的な可憐な若い女の小面の表情は、ふとしたときに心に浮かび上がってくるであろう貴重な心の財産となった。
(名寄新聞社通信員・金子)
名寄新聞2023年4月28日 掲載 Web掲載日2023年4月28日
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