着工、枝幸側で調査
地質が悪く、工事難航も 戦前に構想が具現化し、戦後になって鉄道敷設運動が本格化した美幸線。請願や陳情を重ね、予定線、調査線、建設線と進み、美深~仁宇布間の着工が決定。1957年7月4日、美深駅で美幸線着工記念式典が挙行された。
記念式典では、美深町長・西尾六七、労働大臣・松浦周太郎らが「美幸線着工起点」の杭を打ち込んだ。
また、美深町の市街地では着工を祝う行事で盛り上がり、美深駅前広場には大勢の町民が参集。プラカードやブランバンド、美深町、歌登町、枝幸町の3町村関係者らの行列が市街地を歩いた後、美深高校で祝賀会を開催。夜の提灯行列では「祝美幸線着工」と書かれた大きな提灯やブラスバンドなどが行進した。
着工後、まずは測量から始まり、57年8月1日から12月10日にかけて国鉄札幌工事局の測量隊が美深~仁宇布間で測量を実施し、路線の位置を決定、用地買収を行った。
58年7月30日には美深駅で起工鍬入れ式が挙行され、建設工事がスタート。59年8月20日に国鉄札幌工事局美深工事区が開設され、建設工事が本格化した。
一方、枝幸側では60年9月に現況測量を実施。61年12月28日には全線着工が認可され、62年6月17日に北見枝幸駅構内で北工区起工杭打式を挙行。ルート検討を経て、64年8月から本格的な測量が始まった。
美深~仁宇布間では路盤や橋りょうが完成し、63年7月からレール敷設を開始したが、地質が悪い個所もあり、64年3月に地滑りが発生。土砂除去や地下水の排水を行うなど、工事が難航することもあった。
これまで建設工事は国鉄が直接施工してきたが、64年3月23日から同日発足の日本鉄道建設公団(鉄建公団)へ工事が引き継がれた。
開業までの流れとしては、路盤や施設、設備工事は鉄建公団の手で行い、完成後、地方開発線(A線)と地方幹線(B線)は無償で、主要幹線(C線)と大都市交通線(D線)は有償で国鉄に貸し付けて開業させるものだった。美幸線はA線に該当した。
鉄建公団札幌支社では64年春以降、途中の東美深駅と辺渓駅のホームと待合室、仁宇布駅のホームと駅舎建設などを進めてきた。
64年9月1日に試運転を実施。ディーゼル機関車に客車、緩急車が各1両、原木を満載した貨車など合わせて8両編成の試運転列車が走り、路盤状況や列車の振動、スピードコントロールなどの各種テストを行い、結果は上々だった。
なお、美幸線の建設ルートと重なるため、美深町と仁宇布を結んでいた美深町営軌道(35年6月19日開通、当初は仁宇布殖民軌道)は62年秋で運行終了、63年3月4日に廃止され、バス代替となった。同軌道やバスは夏季のみの運行で、冬季は積雪のため運休していた。
総工費8億4800万円を投入し、64年10月5日、美幸線のうち美深~仁宇布間、延長21・2㌔が開業し、一番列車が走った。
(敬称略 続く)
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