美深~仁宇布間の利用が少ないため、廃止路線の候補とされた美幸線。一方、志美宇丹~北見枝幸間の工事が進み、路盤は完成。1970年11月27日には仁宇布~志美宇丹間、延長30.4kmの工事実施計画が認可され、70年12月7日に着工した。
工事は志美宇丹側から始まったが、山岳地帯のためトンネルも多く、70年に第1上徳志別(260m)、第2上徳志別(825m)、71年に第1大曲(343m)、72年に第2大曲(1337m)、73年に第3大曲(610m)の各トンネルで着工した。
73年5月16日、仁宇布に日本鉄道建設公団札幌支社美深鉄道建設所が開設され、仁宇布側からも工事が開始。74年6月7日に黒岩トンネル(750m)が着工したが、地盤が軟弱で断層もあり、美幸線で最大の難所といわれた。
鉄道敷設の目的として、沿線の農畜産物や森林資源をはじめ、歌登町内に銅、鉛、マンガン、石灰石など鉱産資源、枝幸町内には水産資源があり、運搬することを狙っていた。全線開業すれば、北見枝幸~美深間は浜頓別、音威子府経由に比べ44km短縮された。
仁宇布~北見枝幸間では、北見大曲、上徳志別、志美宇丹、辺毛内、歌登、下幌別の6駅の開設を予定していた。
全線開業予定の時期は当初、75年とされていたが、国鉄の赤字問題で予算執行が遅れたことや、全国各地で新線が建設されていたため、予算が広く薄く配分されたことが影響し、工事の進捗が遅れ、開業予定も1年ずつずれ込んだ。
78年12月までに仁宇布~北見枝幸間の路盤やトンネル12カ所、橋りょう41カ所が完成。あとはレールの敷設、駅舎の建設などが残されていたが、運輸省は国鉄の累積赤字解決抜本策として79年度の予算配分を凍結した。
79年7月に予算凍結が解除されたため、鉄建公団は82年の全線開業予定と発表したが、再び予算が執行停止。80年度の予算配分はゼロとなり、工事は休止。この頃、歌登駅予定地にはレールや枕木が山積みにされた状態だった。
国鉄は当時、膨大な負債を抱えていたことが問題とされ、ローカル線のうち利用が少なく採算の悪い特定地方交通線は廃止方針とし、80年12月27日に「国鉄再建法」を公布した。
81年9月18日、美幸線は第1次特定地方交通線(営業キロ30km未満で輸送密度2千人未満)として承認され、着工区間の工事は凍結された。
美幸線は営業係数が高く、72年度に3270と初の全国ワースト1位。74年度に3859、75年度に3233、77年度も2811とワースト1位となった。
77~79年度平均の輸送密度は82人、79年度の営業係数は1911でワースト7位だった。
「日本一の赤字ローカル線」として知られ、美深町長・長谷部秀見が美幸線の切符を東京銀座や大阪などで販売したこともあった。
80年10月1日ダイヤ改正で1日5往復から4往復に減便。早期全線開業を求める運動や署名活動、美深町ではさらに廃止反対の運動や署名活動も展開された。
しかし、沿線3町はここで諦めることはなかった。第3セクターによって全線開業を目指そうとしたのである。
(敬称略 続く)
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