太平洋戦争の開戦前後に名寄~朱鞠内間、羽幌~築別~曙間が開業。残る朱鞠内~曙間は戦争の影響で敷設運動が中断したが、戦後、再開した。
1947年7月、国鉄が予定線実測を行い、51年9月に経済調査へ着手した。
52年3月22日、3町村の名羽線全通促進期成会が結成。会長は幌加内村長の青木哲雄、副会長は名寄町長の鈴木秀吉、羽幌町長の渡部賢次郎。52年4月に初の運動を展開し、旭川鉄道管理局や国鉄本社などに陳情。52年6月27日から29日にかけて朱鞠内~大タップ間の実地踏査を青木ら幌加内村民10人、羽幌町民6人、名寄町民6人、労働者10人で実行した。
55年6月16日、国鉄本社の副参事ら3人が朱鞠内~羽幌間を現地踏査。名寄町民7人、幌加内村民8人も参加した。
度重なる要請や陳情の結果、57年4月3日の鉄道建設審議会で調査線に決定。同日から国鉄札幌工事局が経済調査と航空測量を開始した。
採択理由の主な観点で
- 日本海とオホーツク海を結ぶ横断幹線的役割
- 朱鞠内鉱、羽幌鉱の地下資源開発の可能性。特に羽幌鉱は生産準備が進行
- 豊富な木材資源開発の可能性
- 農地開拓、特に羽幌町での開発可能性
- 天売島・焼尻島と朱鞠内湖を結ぶ観光ルートとしての有望性
- 名寄市と留萌市を結ぶ日本海とオホーツク海沿岸の防衛上の役割
などが期待された。
その後も陳情が続き、59年1月14日に国鉄札幌工事局の経済調査、59年11月4日に航空測量を経て、同月9日の鉄道建設審議会で建設線に採択された。
ただ、即着工とはならず、早期着工へ陳情を継続。60年4月11日から同局の現地調査、60年10月18日に同局と3市町代表10人で現地踏査。60年12月8日から旭川鉄道管理局が経済調査を行った。
また、名羽線着工に功績があった自民党新線建設同盟会長の益谷秀次の胸像除幕式も行われた。胸像は現在、朱鞠内湖畔に飾られている。
鉄道建設審議会長や衆議院議長も務めた益谷は、寿司店経営で後に名寄市議会議員となる北川信夫と同郷で、石川県能登町出身。互いの実家も目と鼻の先で、北川の祖父と父は益谷の後援者だった。こういったつながりも名羽線着工に結び付いたと思われる。
名羽線全通促進期成会長で名寄市長の池田幸太郎は「名羽線の全線早期開通は道北開発の決め手であり、関係者の協力に心から感謝している」。
羽幌町長の松本敏治は「この鉄道が通る地帯には苫前炭田、雨竜炭田があるのをはじめ、まだ手を加えたことのない膨大な原始林や農業に適した開拓地がたくさんあるので、開通されたなら石炭や木材、農産物がどんどん生産され、この鉄道で容易に輸送されるので、羽幌地域の鉱工業、商業が急速に発展していくことになる」と展望を語った。
62年4月22日、羽幌炭砿の羽幌本坑がある三毛別で起工式を挙行。羽幌側から建設工事が本格的にスタートした。
(続く 敬称略)
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