太平洋戦争の開戦前後に名寄~朱鞠内間と羽幌~曙間が開業。残る朱鞠内~曙間の敷設運動は戦後再開し、1952年(昭和27年)3月22日、名寄町、幌加内村、羽幌町の3町村合同による「名羽線全通促進期成会」が発足し、敷設運動が本格化した。
56年(昭和31年)4月1日、名寄町が市制施行するとともに、期成会事務局を幌加内村から名寄市に移した。
当時の名寄市は、智恵文村との合併措置(54年8月1日)によって、助役が2人体制だったこともあり、市長の名取忠夫は市助役の清野栄惣吉を事務局担当として名羽線敷設促進に専念させた。
清野は、東京都文京区団子坂の北海道町村会館に宿を構えて常駐。関係代議士や運輸省、国鉄本社を訪れて陳情や情報収集に当たった。
しかし、当時の名羽線は予定線で、着工の優先度は270線中83位と低迷。順位上昇には並みの運動では太刀打ちできず、政治的な上層部攻略を図るためのパイプが欲しかったのだが、関係者たちは手掛かりを探すのに必死だった。
ところが、きっかけは思いがけないところにあった。名寄市内の「幸寿司」経営で、後に名寄市議会議員となる北川信夫の存在である。
北川は、当時の衆議院議長で鉄道建設審議会長、自民党新線建設同盟会長でもあり、鉄道建設問題に関して最高権威者の存在で、大物政治家だった益谷秀次と同郷で、石川県能登町の出身である。
互いの実家も目と鼻の先にあった。北川の実家は魚問屋で、祖父と父は益谷の後援者だったため、益谷家に出入りしていた。益谷も北川家の動向や、信夫が名寄に住んでいることも知っていた。
56年6月19日、美深で開かれた美幸線の調査線決定祝賀会に益谷が出席するのに合わせて、北川は名寄市内の石川県、富山県出身者でつくる「名寄加越能郷友会」による歓迎会を翌20日に催した。
名寄を訪れた益谷は「郷土の出身者がこれほどたくさんお世話になっている町とは知らなかった。私が現職のうちに何とか恩返ししたい」と語ったといい、期成会では敷設促進に向けて益谷に陳情するとともに、今後に期待を寄せた。
1962年6月建立後日、北川は益谷のもとを訪ねることになったが「恩返ししたい」との言い残しを思い出し、名寄に役立つ仕事を一つ注文してみよう―と考えた。
ただ、移住して1年あまりで名寄の懸案問題は見当が付かなかったため、開店以来世話になっていた鈴木勉(鈴木写真館)に相談。名羽線の敷設促進が懸案であることを聞いた。鈴木は市役所から陳情書を取り寄せ、北川に手渡した。
北川は陳情書を携えて上京。名羽線の事情はよく知らないまま益谷のもとを訪ね、陳情書を差し出した。相手は鉄道建設問題で親玉の存在であり、直訴のような形となった。
翌日、衆議院議長室に呼ばれ、国鉄総裁の十河信二を紹介された。陳情書に目を通した十河からは担当の局長、部長に詳細を説明するよう言われたが、名羽線の事情や詳細はよく知らず、慌てて鈴木に電話を入れた。この報を受けて飛んで行ったのが清野と名寄市議で国鉄職員の鳴海武一で、国鉄本社や運輸省にも乗り込んでいった。
以降も期成会メンバーたちは陳情や要望に加え、鉄道建設審議会委員のもとを訪ねるため、入れ代わり立ち代わりで上京したが、名羽線の評価は委員によって、まちまちだった。
主なメンバーは市長の名取、市議の鳴海、石井信夫、池田幸太郎(後に市長)、民間では後藤倫(名寄商工会議所会頭)、北川らが常連組だった。市助役の清野は東京での常駐が続いていたが、鉄道建設審議会開催の情報をつかんだ。

幾多にわたる陳情の結果、57年(昭和32年)4月3日の鉄道建設審議会で、名羽線は全国で16線、道内で3線のうちの一つとなる調査線に決定した。
その後も陳情を重ね、59年(昭和34年)11月9日に建設線、61年4月25日に待望の着工が決定したが、これらは益谷との人脈や政治力が大きかったといえよう。
鉄道建設は「我田引水」をもじった造語で「我田引鉄(がでんいんてつ)」とも呼ばれる。多くの利用があれば有効で重要な路線となるが、政治家の実績づくりとして鉄道敷設を目的化し、利用があまり見込めない路線を建設すると、税金の無駄遣いと批判されることから、功罪は分かれるところである。
鉄道(在来線)の建設は政治の動きに大きく翻弄された。現代でいえば、新幹線や「我田引道」ともいえる高規格道路の整備が当てはまるだろう。
(敬称略)

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