稚内印刷㈱が創業100周年 地域と共に歩む 2代目社長髙木哲朗氏 昔の苦労振り返る
市内中央4、稚内印刷㈱は、19日で創業100年。創業者の故・髙木省三さんの四男で、1970年から2005年まで2代目社長を務めた髙木哲朗相談役(91)が本紙の取材に応じ、歴史を振り返った。大きな節目を迎えられたことを喜び、今後の更なる発展に期待を込めた。
1923年7月19日、同社の前身の稚内活版所が創業。髙木相談役によると、この頃に稚内で高等教育が始まった。さらに官設宗谷線(天北線)が開通されたことなどに伴い、印刷物の需要が高まっていた。これを受け、省三さんが自身の生まれ故郷の栗山町で印刷について1から学習し、得た知識を稚内のために還元したという。
創業当時は、活版印刷の手法で官公庁や民間企業の伝票などを印刷。活字(判子)を1つずつ集め、文章を作る大掛かりな作業。1つのものを完成させるまで、半日を要するのは当たり前。連日のように残業が続き、忙しい日々を送った。
髙木相談役は、稚内高校卒業後の1951年に入社。印刷の業務に加え、集金などにも出向いた。「当時は、振り込みの仕組みが無く、お客様全員のところまで行って集金しました。ただ、印刷の業務で手が毎日のように真っ黒になるので、汚れを入念に落としてから外出していましたね」と懐かしんだ。
50年には、稚内活版所から稚内印刷所に改称。76年には現在の稚内印刷㈱に組織変更。髙木相談役は父から引継いだ会社の経営に尽力。代表取締役会長を経て、先月末に開かれた臨時株主総会、取締役会で会長から相談役に就いた。
長い間、社長の責務を全うし「お客様を大切にすることを第一に心掛けた。官公庁等の重要書類を印刷する日もあり、緊張感を持ちながら仕事したことを思い出す。特に、自分自身は校正が得意で、これを活かして利用者から認めてくれたと実感している」と。1972年頃からは、オフセット印刷機を導入。創業当時と比べ、作業内容は簡易化され「職員の負担軽減に繋げることが出来た」と。
現在は、相談役として会社を見守る立場。「何も相談されないのが1番良いこと。時代の変化に合わせながら営業を続けてほしい」とエールを送る。
このほど、杉川毅氏から代表取締役社長を引継いだ杉川真氏は「先代達が築いてきたものを大切にし、今後も地域に根差して各種事業に取組んでいく」などと決意した。
(原拓弥)
Web掲載日2023年7月24日
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