日本海へ“夢の跡”~幻の鉄道「名羽線」 沿線自治体や理事者たちの思い 当時の名寄新聞の記事を振り返る(下)
1972年度(昭和47年度)は、日本鉄道建設公団による事業計画や当初予算の発表が遅れるとともに、70年(昭和45年)の羽幌炭砿閉山の影響も懸念されていたが、予算計上が決まり、関係者を喜ばせている。
その後も建設工事は進み、全線開業への期待が高まっていたことも読み取れる。
79年度(昭和54年度)は、国鉄が膨大な赤字を抱えていたため、運輸省が鉄建公団AB線(地方開発線・地方幹線)の工事予算を凍結していたが、7月に凍結が解除され、沿線自治体は安堵しながら運動を強化していたことが伺える。
しかし、1980年度(昭和55年度)の当初予算はゼロ査定とされ、工事は凍結された。
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