第3セクターで全線開業を目指そうとしたが、収益が見込めず、道からの出資は見送られて断念し、バス転換に合意。営業係数も1983年度に4780、84年度は4731と連続全国ワースト1位となった。85年9月9日に美幸線敷設促進期成会は解散。85年9月16日、最終営業運行の日を迎えた。
最終日は臨時2往復を含む6往復のうち、5往復が8両編成の「さよなら列車」として運行。一方、普段は数人しか乗らない1両の始発列車も100人あまりが乗車した。
美深駅で開かれた廃止セレモニーでは「一日駅長」を務めた美幸線敷設促進期成会長・西尾六七(道議会議員)の合図で「さよなら列車」が出発した。
仁宇布駅前では廃止・バス転換式が行われ、住民や鉄道ファンら1千人が詰め掛けた。西尾は「長い政治生活に全線開通をかけてきただけに廃止は断腸の思い。21年前、幼い子どもが旗を振って『万歳』と叫んでいたのが目に浮かぶ。だが、廃止にくよくよできない。今日を新たな道を発見する日として美深の再出発としたい」。
美深町長・長谷部秀見は急性肝炎で入院していたため出席できず、病床で「元気だったとしても、お別れには立ち会いたくなかった。雪深い町から鉄路をなくすのは生活路線の廃止に等しい。国や道は後世に大きな禍根を残すだろう」とこぼした。
町長代理の町助役・岩木実は「今後も跡地処理などの大きな問題を抱えており、変わらぬ支援をお願いしたい」。町議会議長・山崎幸一は「時世の流れには勝てなかった。今後はバスにまちづくりを託して進みたい。全線開業の悲願を達成できず、皆さんにお詫びしたい」。
一方、上川支庁長・石川喜八郎、国鉄旭川鉄道管理局長・清水英朗は「バスの安全運行に万全を注ぐ。バス利用で松山湿原を発展させるよう期待する」などと淡々とした挨拶だった。
代替バスを運行する名士バスの社長・武田忠兵衛は「明日から責任を持って輸送を引き受ける。美幸線開通前、ふた夏バスを運行させたことがあり、感慨深い。これから最後の足として精一杯努力したい」と挨拶。
「さよなら列車」出発式では、仁宇布小2年・藤原昌希、佐藤千穂から運転士・中山富男、車掌・岩木正に花束が贈られ、列車がホームを離れた。岩木は64年10月5日、美幸線開業の一番列車にも乗務していた。最終列車まで合わせて3493人が乗車。一日乗客数としては開業以来、最高となった。北見枝幸駅までの全線開業は果たせず、21年の歴史に幕を下ろした。
85年9月17日からは一日5往復の代替バスが運行し、新たな住民の足となった。
(敬称略 続く)
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