1964年10月5日、美幸線の美深~仁宇布間、延長21.2kmが開業。喜びに湧いたが、本来は北見枝幸駅までの延長78.8kmで計画された鉄道路線であり、全線開業させることが最終目標だった。
枝幸側では60年9月に現況測量、61年12月28日に全線着工認可、62年6月17日に北見枝幸駅構内で北工区起工杭打式を挙行。ルート検討を経て、64年8月から本格的な測量が始まった。
65年9月、歌登駅予定地付近に日本鉄道建設公団札幌支社歌登鉄道建設所を開設。65年10月21日に志美宇丹~北見枝幸間(北工区)、延長27.2kmの工事実施計画が認可され、10月30日に着工。65年11月1日に歌登町パンケナイで北工区起工式、枝幸小学校で記念式典が挙行され、早期開業を祈願した。
北工区では橋りょう18カ所、トンネル2カ所があり、工事はパンケナイの歌登トンネル(700m)付近から開始。66年に歌登、枝幸、下幌別、67年に金駒内の路盤工事へ着手。下幌別、金駒内付近は泥炭地帯の軟弱層であるため、地盤強化を施工。68年12月までに北見枝幸~歌登間の路盤、枝幸市街地の高架橋(367m)など橋りょうが完成した。
68年6月から歌登~志美宇丹間の工事も始まり、68年に辺毛内の路盤、68年10月から志美宇丹トンネル(1520m)の掘削工事、69年に志美宇丹の路盤と陸橋工事に着手。70年11月までに志美宇丹までの路盤が完成した。
70年に志美宇丹~第2大曲トンネル間の測量も行われたが、用地問題で難航した。
歌登~志美宇丹間では、歌登町営軌道志美宇丹線(33年11月10日開通、当初は殖民軌道)が運行していたが、美幸線の建設ルートと重なっていたため、鉄建公団から撤去を要請されていたことに加え、道路整備や自動車増加に伴って同軌道の利用が減少し、累積赤字が増大していたこともあり、68年12月20日で運行終了、69年5月に廃止され、バス代替となった。
一方、美深側では美深~仁宇布間で1日5往復の普通列車が1両で運行。朝夕は児童生徒の通学、一般町民の通勤、帰宅で満員となることもあったが、沿線の人口密度が低かったため、それ以外の時間帯では利用が少なく、営業係数(100円の収入を得るのに必要な費用)は65年度に834、66年度は869で全国ワースト3位だった。
国鉄は67年10月26日、赤字路線を廃止する方針を明らかにし、国鉄総裁の諮問機関「国鉄諮問委員会」は赤字路線のうち地方通勤線や純ローカル線の抜本的改善策を検討した。
美幸線も廃止路線の候補に挙げられたが、建設途上の新線で、わずか21kmの支線の運行実績だけで評価するのは適当ではないとして、美幸線敷設促進期成会は67年11月1日、廃止反対と全線開業の早期実現を決議した。
しかし、68年9月4日、国鉄諮問委員会が国鉄総裁に答申した全国の「赤字83線」(そのうち道内15線)の中に美幸線が加えられた。
そういった事態もあり、今後の建設工事が危ぶまれたものの、70年11月27日には仁宇布~志美宇丹間、延長30.4kmの工事実施計画が認可され、70年12月7日に着工。志美宇丹側から工事が始まった。
(続く)
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