夢破れた全線開業~旧国鉄美幸線の軌跡 特別編 不安と疑念(前編) 全線開業へ懐疑的 巨額の赤字予測明らかに
美深、歌登、枝幸の3町では、美幸線全線開業に期待をかける一方、住民の間では、もし全線開業した場合、地元負担や運営への不安、疑念も生じていた。
美幸線敷設促進期成会(会長・西尾六七=道議会議員)では1982年(昭和57年)4月14日、第3セクターによる運営を打ち出し、道も検討に参加した。82年11月、東日交通に収支や将来展望の調査を依頼し、83年4月に結果が届いたが、公表されなかった。道も83年10月、計量計画研究所に3セク転換可能性調査を委託した。
次第に調査結果が明らかになったが、期成会、道とも全線開業予定の87年に1日7往復、1両ワンマン運行、気動車3両保有を前提とした場合、単年度収支は期成会試算で87年度(昭和62年度)に1億5千万円の赤字だが、95年度(平成7年度)には9千万円の黒字に転換すると予想した。
一方、道試算では87年度に2億9千万円の赤字、2000年度(平成12年度)には3億5千万円の赤字と見込んだ。
さらに、道試算では転換交付金(1km当たり3千万円)を積み立てた基金の利息、国庫補助(3セク転換後5年目まで赤字の半額補てん)を受けても、累計収支は2000年度までで37億円の赤字と推計。期成会と道では正反対の収支予測となり、巨額の赤字予測も明らかになった。
また、運賃は期成会案で3セク化時に国鉄比2倍として以降、2年ごとに20%増し。道案では国鉄比1.5倍として以降、2年ごとに15%増し。要員は1987年度の全線開業時に期成会案で30人、道案では39人とした。
輸送密度は85年度に期成会案で264人/日、87年度に道案で207人/日。2000年度には期成会案で418人/日に対し、道案では230人/日と見込んだ。
1983年10月5日の第3回特定地方交通線対策協議会で、期成会の試算に対し「将来の人口増加と観光客増加の見積もりが甘い」「要員数が足りないのでは」「運賃値上げによる旅客減が見込まれていない」などと指摘された。
期成会は84年9月18日、3セク会社の設立案を決定。西尾は「仁宇布までの部分開通では赤字になるのは当然であり、枝幸まで全線開通してこそ意義がある。新会社では国鉄の半分の人員で列車を走らせ、国鉄OBを採用して人件費を抑えるなどで十分やっていける。約6億円の転換交付金の利子や国庫助成もあり、当面は赤字でも15年先にはペイできる。仁宇布から先は雪が多く、バス転換は無理。戦前、戦後と殖民軌道があり、これを廃止して美幸線を建設することになった。公共性と開発性の面から他線と異なる歴史的意義がある。足を確保するには3セク化しかない」と語った。
新会社の資本金は2億円で、道に1億円の出資を求め、転換交付金の一部から5千万円、3町で各1千万円を拠出、民間から2千万円を募るとしていた。
歌登町史第2巻によると、78年12月に北海道大学工学部交通計画学研究室が美幸線の実態調査を実施。結論として「新線をつくる必要なし」とまとめ、当時、美深~仁宇布間の鉄道利用者のほとんどが通学生という結果が浮かんだ。自家用車は辺渓、仁宇布地区で78%の家庭が保有。3町の人口は60年代に3万人を超えていたが、79年には2万2700人に減少し、美幸線の前途は厳しかった。
期成会の甘い試算、道の厳しい見通しに対し、住民の間では全線開業へ懐疑的になっていた。
(敬称略 続く)


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