酪農業と渓和の雪道支えた馬そり
下川町渓和に住む押田真さん(72)に、馬との思い出を聞いた。
押田さんの両親は、馬の力を借りながら渓和の森を開墾してきた。
昭和30年代後半になると、共同トラクターが導入されるなど機械化が進んだ。それでも、しばらく馬と機械が併用された。
特に渓和は高台にある酪農の集落。同40年代後半まで道路には除雪が入らず、積雪のある冬に自動車の通行はできなかった。
そのため、搾った牛乳を運ぶのも、獣医を送迎するのも、冬の交通手段は馬そり。
牛乳の運び出しは時刻が決まっているため、酪農家が一斉に行った。搾りたての牛乳を輸送缶に入れ、馬そりに積んで運んだ。
馬によっては、先を走る馬に追い付こうと、制御できない勢いで走り出すものもいたそう。
春先は雪が解け始め、残雪によって斜めになった道でバランスを崩して横転し、牛乳をこぼすものもいた。雪は牛乳でクリーム色に染まった。
運び出しの帰りには、道中の家でお茶を飲むこともあるが、休む間に馬だけ帰ってしまった笑い話もあった。
除雪が入るようになると、急激に馬の利用が減少していったようだ。
昭和50代前半まで、亡くなった馬の肉は、集落で分け合ったという。各家庭で湯がいた肉を手作りみそに漬け込んで保存し、大切に食べたそうだ。
<今回は名寄新聞の2019年9月1日付掲載記事を基に再構成しました>
馬に関する思い出を募集します。ちょっとした出来事でも歓迎します。氏名、住所、年齢、連絡先、馬との思い出などをご記入の上、メール(komine@nayoro-np.com)でお寄せください。読者の皆さんと馬の魅力を振り返ることができたら幸いです。
(筆者・下川支局の小峰が馬を飼う理由、この連載の趣旨についてはこちら)
https://dohoku.net/09e42b5952b546bcb07c6a48bda01c7b
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