1961年4月25日、朱鞠内~曙~羽幌間(51.2km)の着工が決定し、地元は喜びに湧いた。 羽幌炭砿の石炭輸送を優先し、羽幌側から着工することになり、61年7月11日から12月31日まで測量。62年2月15日、曙~上流間(6.8km)の工事が認可された。 62年4月22日、羽幌本坑がある三毛別で起工式を挙行。工事が本格的に始まり、62年12月24日、曙~三毛別間(3.8km)のレール敷設が完成。非営業線として石炭や名羽線工事資材の運搬を開始した。 羽幌本坑から羽幌炭砿鉄道の曙駅までは索道で石炭を輸送していたが、羽幌炭砿鉄道株式会社では輸送力増強を図るため、曙駅からの貨物側線の敷設を申請していた。 国鉄は年間40万tの石炭輸送に協力するため、工事中の路盤を同鉄道に有償(発送1t当たり57円)で貸し出した。 63年5月24日、三毛別~上流間(3.1km)で着工し、63年12月21日に三毛別トンネル(1024m)が貫通。66年12月までに路盤が完成した。 これまで国鉄札幌工事局が施工してきたが、64年3月23日に日本鉄道建設公団が発足して以降、鉄建公団札幌支社で施工。地方開発線(A線)に位置付けられた。 早期完成を目指して朱鞠内側からの着工運動を重ね、64年10月4日、朱鞠内側杭打ち式が朱鞠内駅で挙行された。 式では、鉄建公団総裁・太田利三郎、自民党新線建設同盟会長・益谷秀次、名羽線全通促進期成会長・池田幸太郎(名寄市長)らが杭を打ち込んだ。 演奏行進や旗行列に続き、朱鞠内小学校で祝賀会を開催。池田は「一日も早く完成し、未開発資源の開発に役立ててほしい」。益谷は「全線開通のめどを得ないままに放置されているのは遺憾の限り。一日も早く両面着工に踏み切り、住民の悲願に応えるべきだ」と訴えた。 太田は「現地に来て初めてその必要性を痛感した。両面着工には最善の努力を払う」と応えた。 65年春から朱鞠内側で測量と用地買収を開始。66年7月18日、朱鞠内~上流間(27.9km)の工事実施計画が認可され、同月27日に朱鞠内側起工式を朱鞠内駅で挙行。鉄建公団朱鞠内鉄道建設所も開設され、同月29日から着工。路盤や橋梁、第1朱鞠内トンネル(87m)などの工事に着手した。
69年春には上流側からも着工し、69年12月15日、第2二股トンネル(581m)が貫通した。 工事区間の朱鞠内~曙間(34.7km)は、朱鞠内~上流間に橋梁53カ所、トンネル21カ所、上流~曙間に橋梁9カ所、トンネル2カ所をはじめ、白地畝信号場、上流駅、三毛別駅を設置。全線開業時には1日8往復の旅客列車の他、石炭輸送などの貨物列車が予定されていた。 一方、国鉄はローカル線の赤字や幹線の輸送増強費用がかさむなどして64年度から赤字決算が続き、67年10月26日、赤字路線廃止の方針を打ち出した。 国鉄諮問委員会は68年9月4日、「赤字83線」を発表し、その中に深名線も含まれていた。もし廃止されると名羽線の建設工事もストップし、これまでに投入した10億円超の工事費が全くの無駄金になるため、廃止反対運動を展開した。 69年までに未着工部分は14kmとなったが、羽幌側でも今後の建設工事に暗雲が立ち込める事態が起きた。築別炭砿で断層とぶつかり、思うように採炭できなくなったのである。 (敬称略 続く)
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