留萌まで開業し、増毛延伸へ 留萌港修築が優先され、着工遅れる
鉄道敷設決定までさまざまな経緯があり、着工後も難工事であったが、1910年(明治43年)11月23日、深川~留萌間が留萌線として開業した。
深川、筑紫、沼田、恵比島、峠下、幌糠、藤山、大和田、留萌の各駅が開設された。なお、筑紫は54年(昭和29年)11月10日に「秩父別」、沼田は24年(大正13年)4月25日に「石狩沼田」に改称されている。
鉄道が開業し、沿線では汽笛が初めて鳴り響いた。各駅では祝賀行事を開催し、一番列車を迎え入れるとともに、住民たちの喜びが湧いた。
その間、増毛への延伸が計画されていた。増毛の有志も鉄道の誘致運動を展開し、03年(明治36年)に増毛の本間泰蔵、小林吉三郎が発起人となり、有志相談会が開かれた。引き続き、増毛の有志は工学士を雇って実地調査を実施し、「鉄道を敷設すべき」という結論となり、積極的に運動を繰り広げた。
08年(明治41年)3月、本間泰蔵ら有志115人は衆議院に起工を請願し、10年(明治43年)2月には貴族院にも請願して採択された。さらに北海道内選出の浅羽靖、東武ら有力国会議員も早期敷設を働きかけていたが、当時は留萌港の修築と競合して優先されたため、留萌~増毛間の鉄道着工は遅れ、路線の実測に着手したのは17年(大正6年)4月だった。18年(大正7年)1月に路線選定が認可されたが、当時は第1次世界大戦の影響により予算のめどが立たなかった。
19年(大正8年)6月から路盤工事、20年(大正9年)10月から留萌川の鉄橋架設、21年(大正10年)1月から駅舎建設に着手した。路線は海岸に沿っていたが、山麓もたどっていたため、起伏や曲折が多く、19年9月23日の豪雨では海岸絶壁の中腹が崩壊し、線路を山側に移すこともあった。阿分トンネル(331m)も地質が岩盤と粘土盤であり、難工事となった。
21年11月5日、留萌~増毛間が開業し、留萌線(深川~増毛間、66.8km)が全線開業となった。
(続く)


道北の求人情報
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
1級土木技術者
300,000円〜400,000円
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
2級土木技術者
250,000円〜330,000円
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
舗装技術者(1級資格保持者)
300,000円〜380,000円
北海道上川郡和寒町字三笠99番地
株式会社 近藤組
上川管内の作業所
変形労働時間制
舗装技術者(2級資格保持者)
240,000円〜330,000円
北海道名寄市東4条南9丁目4-9
大沼左官工業 株式会社
北海道名寄市東4条南9丁目4-9
変形労働時間制
左官工
168,000円〜306,600円
名寄新聞を購読希望の方は
名寄新聞 購読料のご案内通信員募集のお知らせ道北ネット ビジネスデータ トップページに戻る