鉄道敷設構想は明治時代から 当初計画では留萌を通らずに増毛へ
2023年(令和5年)3月31日、留萌本線の石狩沼田~留萌間(35.7km)が最終営業運転を行い、4月1日で廃止、バス転換となった。それに伴い、留萌本線は深川~石狩沼田間(14.4km)のみとなり、「本線」を名乗るJR路線としては全国で最短となった。
しかし、深川~石狩沼田間も2026年(令和8年)3月末で廃止されることが決まっている。もともとは深川から増毛までの鉄道路線(66.8km)だったが、留萌~増毛間(16.7km)は2016年(平成28年)12月5日に先行して廃止された。
かつては沿線に炭鉱が点在するとともに、林業も盛んで、石炭と木材を留萌港へ運んでいた。さらに日本海沿岸の海産物も内陸へ運び、多くの貨物や旅客を輸送していた。
ここでは、留萌本線の構想から着工、開業、最盛期、廃止までを振り返りたい。留萌市史、沼田町史などを参考図書とした。
なお、留萌本線、留萌駅の漢字表記は当初「留萠本線」「留萠駅」(草かんむりに朋)で、1997年(平成9年)4月1日に現行の「留萌本線」「留萌駅」となったが、本編では便宜上「留萌本線」「留萌駅」に統一して表記する。
留萌本線の前身は、1896年(明治29年)5月14日公布の「北海道鉄道敷設法」に盛り込まれた6路線のうちの1つで、石狩国雨竜原野より天塩国増毛に至る鉄道だった。
当初は現在の妹背牛町メム付近で函館本線から分岐し、北竜町恵岱別を経て峠を越え、信砂川に沿って下り、増毛町信砂で日本海沿岸に出て、増毛市街地に至るルートで計画されたため、留萌は通らなかった。
しかし、恵岱別、信砂川沿い経由は長距離の急勾配となり、長大トンネルも必要となったため、当時の土木技術では困難だったことから、現在の深川駅で函館本線から分岐し、沼田を経て峠を越え、留萌川沿いに下って留萌へ向かい、日本海沿岸に出て増毛へ至るルートに確定した。
また、沼田を経由するようになったのは、沼田町開拓者の一人である富山県出身の沼田喜三郎が中央の要人とも面識があり、政治力が功を奏したものといわれる。沼田喜三郎が本格的な開拓に取り組んでいたところ、鉄道の敷設計画を知り、鉄道用地や市街地設営に必要な土地を寄付した。
その後、鉄道は官設か民設かで、政治の場で議論が展開されるようになり、1900年(明治33年)11月に北海道炭礦鉄道株式会社(北炭)が深川~留萌間の鉄道敷設を国に請願した。北炭では01年(明治34年)4月、小樽の北海道鉱山株式会社が所有していた雨竜郡、留萌郡、天塩郡にまたがる55鉱区を買収した。炭鉱開発と石炭運搬手段として、この鉄道路線に注目していたが、02年(明治35年)7月に請願は却下され、官設で運営されることになった。
鉄道の敷設は、留萌港の修築とセットで構想が進められ、留萌の有志が期成会を結成したり、国に請願書を提出したりするなど、機運が高まっていた。
(続く)
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