1986(昭和61)年7月17日付掲載 数億円の鉱石眠ったまま 休山の珊瑠鉱山を現地に見る 操業再開は困難か 坑口は密閉し建物解体
下川町珊瑠の合同資源産業株式会社珊瑠鉱業所が、1986年(昭和61年)6月末で休山となった。坑口も密閉されてしまい、事実上の閉山となった。
珊瑠鉱山は、金をはじめとして、銀、ケイ酸鉱を産出した。
1917(大正6)年、サンル川支流のサンル12線沢上流で露頭が発見され、19(大正8)年から個人共同経営で精錬が開始された。
26年(大正15年)、三井鉱山株式会社が鉱区を買収し、珊瑠出張所を開設。33(昭和8)年に珊瑠鉱業所となるとともに、会社の寄付により珊瑠第二小学校が開校した。34(昭和9)年から本格的な採掘が始まり、37(昭和12)年には戦前のピークとなる年間産金量453.3kgを記録した。
しかし、43(昭和18)年、金鉱山整備令によって金は非軍需物資として採鉱中止となり、閉山されるとともに、珊瑠第二国民学校は閉校した。
鉱業権は帝国鉱業開発株式会社を経由して磯部鉱業株式会社に移り、55(昭和30)年、珊瑠鉱業所として再開された。58(昭和33)年には戦後のピークとなる年間産金量186.1kgを記録した。
65(昭和40)年、会社合併に伴って合同資源産業株式会社珊瑠鉱業所となったが、76(昭和51)年、資源枯渇とケイ酸鉱の需要減少により採鉱を中止し、探鉱に転換。79(昭和54)年から採鉱を再開した。
だが、再び資源枯渇や金相場の下落が影響し、経営環境が悪化し、86(昭和61)年6月末で休山、事実上の閉山となった。
86年当時、金相場(1gあたり)は2000円を割り込むとともに、円高も加わって価格低迷に拍車をかけていた。
2023(令和5)年7月11日現在、金相場(1gあたり)は9676円と高騰しており、採鉱が続いていれば活気に満ちていたと思われる。
Web掲載日2023年7月13日
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