美幸線着工記念式典から7年の歳月を経て、1964年10月5日、美深~仁宇布間、延長21.2kmが開業。美深駅では国鉄旭川鉄道管理局主催の修ばつ式が挙行された。
式では、国鉄旭川鉄道管理局長、国鉄北海道支社長、日本鉄道建設公団札幌支社長をはじめ、美深町長・西尾六七、歌登町長・合田英雄、枝幸町長・佐藤健三、3町議会議長が玉ぐしをささげた。
続いて、国鉄北海道支社主催の出発式が挙行され、一番列車の運転士・福田高男、車掌・岩木正らに花束が贈られた。陸上自衛隊名寄駐屯地音楽隊員が「鉄道唱歌」を演奏する中、5両編成の列車が美深駅3番ホームを出発した。
一番列車には500人ほどが乗り込むとともに、その瞬間を見ようと大勢の町民が駆けつけた。途中の東美深駅、辺渓駅にも多くの住民が集まり、列車を出迎えた。
列車は仁宇布駅に到着し、駅構内は大勢の住民が参集。駅前広場には「祝美幸線開通」のアーチが立っていた。
冬季は美深町営軌道(62年秋運行終了)も路線バスも運休し、「陸の孤島」と化していた仁宇布地域だったが、鉄道が開業し、住民たちは喜びに浸り、仁宇布小4年・木幡吉則は「鉄道が開通したおかけで、病気になった時でもすぐ街の病院に行けるし、冬の牛乳出しもお母さんたちが苦労しなくても済むようになりました。鉄道や役場のおじさんたち、本当にありがとう」と感謝の言葉を寄せた。
美深の市街地では開業を祝うアーチや横断幕、万国旗などで飾られ、大いに盛り上がった。
美深駅前を出発した祝賀旗行列は、美幸線敷設促進期成会(会長・西尾六七)役員、児童生徒、一般町民などで列は膨れ上がり、祝賀会場の美深中学校まで1kmも続いたといわれる。沿道にも大勢の町民が集まった。
祝賀会でも関係者挨拶、来賓祝辞、期成会長・西尾の謝辞が寄せられ、構想から三十数年の夢実現に祝福と喜びに湧くとともに、開業を見ずに他界した人たちへ冥福を祈った。
とりあえず仁宇布駅まで開業したが、路線名称は美深と枝幸から1文字ずつ取った「美幸線」であり、北見枝幸駅までの延長78.8kmで全線開業させることが最終目標だった。
65年10月21日、志美宇丹~北見枝幸間(北工区)、延長27.2kmの工事実施計画が認可。65年11月1日に北工区起工式が歌登町パンケナイで挙行された。
(敬称略 続く)
道北の求人情報
名寄新聞を購読希望の方は
名寄新聞 購読料のご案内通信員募集のお知らせ道北ネット ビジネスデータ トップページに戻る