夢破れた全線開業~旧国鉄美幸線の軌跡 「美幸線に夢を乗せて町政推進」 まち発展へ全線開業を願い続けた美深町
1980年(昭和55年)1月7日付の名寄新聞に、長谷部秀見町長、岩木実町助役、山崎幸一町議会議長の対談記事が掲載された。
その中で美幸線の存続と全線開業にも触れている。当時は1982年(昭和57年)の全線開業が予定されていた。
営業係数が全国ワーストワンとなり、「日本一の赤字路線」として知られたが、長谷部町長はそれを逆手にとってPRするとともに、美幸線の切符を東京や大阪などで自らの手で売りさばいた。
それにより、全国から美深を訪れる人が現れるとともに、「美幸線松山まつり」(現在の「松山湿原とニウプ自然探勝・登山の集い」)には多くの来場者でにぎわった。
乗客や運輸収入が増加し、営業係数ワーストワンを返上した年もあり、それを糧にして全線開業を願った。
しかし、80年には建設予算がゼロとなり、工事は凍結された。北見枝幸までの全線開業はかなわず、85年(昭和60年)9月17日に美深~仁宇布間が廃止されたが、往時は美幸線の全線開業による、まちの発展に期待を寄せていた。
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