日本海へ“夢の跡”~幻の鉄道「名羽線」 沿線自治体や理事者たちの思い 当時の名寄新聞の記事を振り返る(上)
全線開業は沿線自治体の悲願だったが、特に首長などの理事者たちはその思いが強かったのは間違いないだろう。
名羽線の着工決定から工事凍結まで、当時の名寄新聞の記事を振り返りながら、発言などを見ていきたい。
1961年(昭和36年)4月25日の着工決定や同年6月21日の着工祝賀式典、64年(昭和39年)10月4日の杭打ち式では、待望の着工を喜びながら沿線の開発促進へ期待を寄せていたことが伺える。
しかし、順調に経過していた情勢が変化し、68年(昭和43年)9月4日の深名線など「赤字83線」リストアップ、70年(昭和45年)11月2日の羽幌炭砿閉山以降では、建設工事の先行きを不安視しながらも、全線開業を目指して強力な運動を推進していたことが読み取れる。
(続く)
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