「料理と利他」
土井 善晴、中島 岳志(ミシマ社 2020年)
本書は2020年に料理研究家の土井善晴と東京工業大学の中島岳志との同名の対談を書籍化したものだ。料理、そして他者のためになることを指す「利他」という話題を中心に展開されている。
食事をすることがそもそも私たち人間、そして社会にどのように作用しているのか、また作用すべきなのか、取りこぼされている問題は何かということを語る。対談をベースにした本となっていることもあってか、2人の心地よい会話テンポを通じて深い見識と多岐にわたる問題提起が流れ込んでくる。その中の「ええ加減」という話は特に印象的だ。
私たちは様々な動機を以て料理をしているが、究極的に言えば生命を支えるために料理をしていると言えるだろう。外界から栄養を摂取しなければ大抵の生き物は生きてはいけない。これに加え、昨今は料理をすることの意味、そして料理に求められるものがかなり幅を持つようになってきた。
「もっと美味しいものを」、「誰よりも華やかなものを」、「栄養のバランスの取れたものを」…このような理想や啓発によって料理に疲れてしまったという人の声がしばしば聞かれるほどだ。料理研究家の土井善晴は他の料理人がそれまで格が落ちるものとして見てきた家庭料理に注目し、より簡単で力を抜くことができる食事の形式「一汁一菜」を提唱して多くの人の支持を集めてきた。この「一汁一菜」に関連し、土井が本対談に関わらずしばしば口にするのが、「ええ加減」という言葉である。
「ええ加減」の度合いには確かに厳格な定義はない。だが、それはその尺度が雑であるからというだけではない。「なんだか美味しそう」、「それくらいでちょうどいい」という感覚にはものを己、もしくは人が感じる心地よさを観察し理解している証左であるともいえる。
ルールの話もこれに近いだろうか(この対談がルールを今よりも強く意識したコロナ禍での収録であったことは無関係ではないだろう)。あらゆる状況において、私たちはルールを作り(作られ)、それを守っている。ルールというものはなんらかの行為やその逸脱を伴う危険から人を守るためにあるが、時としてルールを守ることが本意のように見える形骸化したルールも存在する。
レシピもそれに近いところがある。誰もが同じ料理を作れるように考案されているレシピだが、その内容に固執するあまりそもそも自分が美味しいと思う味つけがどんな風だったかを忘れ、分量通りに、材料通りに作ることに安心を見出してしまう。規則に則って自分の身体がどんな風にものを見て、感じていたかがわからなくなってしまうのだ。 「ええ加減」という尺度は計量スプーンでは測れない。
ましてやこの「このくらいがちょうどいい」という感覚は社会全体に浸透させることは難しい。今の世は人やモノ、そして考えることが増えすぎたのだと身に染みて実感する。だからこそ今できる「ええ加減」の範囲は個人ないしその周囲からが適当なのかもしれない。
本を閉じてもう一度社会や生活を見渡してみると、あたりには厳格な基準のない「ええ加減」が溢れていることに気が付く。時に私たちは「適量」や「狐色になるまで…」といった言葉の曖昧さに困惑させられる日々を送っている。
たまには正解を追い求めるのではなく、自分の塩梅、感覚に身を任せてみようかと、心地の良い感覚を取り戻していくためのチューニングとして本書は重大な問いと言葉を投げかけてくるのだ。
書き手:上村麻里恵
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