日本海へ“夢の跡”~幻の鉄道「名羽線」 名羽線の車窓(想像)から ひたすら山岳地帯、羽幌炭砿跡地も
全線開業は実現しなかったですが、もし全線開業していたら、車窓からはこのような風景が眺めることができただろう―と想像して記してみました。
2回目は名羽線(名寄~羽幌間、94.2km)です。深名線としての開業・廃止区間(名寄~朱鞠内間、43km)、未成区間(朱鞠内~羽幌間、51.2km)と並行する道路から見える光景にならっていますが、道路がない区間は航空写真からの想定です。並行道路は道道798号西風連名寄線(名寄~天塩弥生間)、道道688号名寄遠別線(北母子里~蕗ノ台間)、道道528号蕗の台朱鞠内停車場線(蕗ノ台~朱鞠内間)、道道741号上遠別霧立線(上流~曙間)、道道356号築別炭砿築別停車場線(曙~天塩汐見間)、国道232号(天塩汐見~羽幌間)に相当します。列車は名寄駅0番ホーム(現存せず)から出発し、住宅街を右手に、王子マテリア名寄工場(旧天塩川製紙→旧北陽製紙、2021年12月1日操業終了)を左手に見ながら進み、天塩川の橋梁を渡る。その後、水田地帯を通り抜けながら西名寄駅を過ぎ、少し山間に入ったところで天塩弥生駅に到着する。
天塩弥生駅からは本格的に山岳地帯へ突き進む。列車のスピードは落ち、急勾配の坂を上り切ると、名雨トンネルで名寄市と雨竜郡幌加内町の境界を越える。その後は坂を下り、北母子里駅に到着する。
北母子里駅を出ると、ひたすら森林地帯を走り、白樺駅、第2雨竜トンネル、蕗ノ台駅を通過する。白樺駅、蕗ノ台駅周辺はかつて開拓農家や林業関係者が住んでいたが、今は無人で原野となっている。車窓からは木々しか見えない。数多くの沢を渡り、朱鞠内湖(雨竜第1ダム)最寄りの湖畔駅を経て、朱鞠内駅に到着する。ここまでが1941年(昭和16年)10月10日までの開業区間である。ここからは未成区間である。朱鞠内駅を出発し、雨竜川の橋梁を渡って第1朱鞠内トンネルを抜ける。この先は険しい山地を越えることになり、列車のスピードは格段に落ちる。朱鞠内川やいくつかの沢を渡り、坂をどんどん上っていくと、苫竜トンネルが見える。苫前郡羽幌町と雨竜郡幌加内町を隔てるトンネルを抜けると、白地畝信号場があり、対向列車とすれ違う。今度は坂を下り、カラセミ沢、中の二股川、二股川、羽幌川などの橋梁を渡るとともに、白地畝、中の二股、二股のトンネル群を抜ける。車窓は山林のみを眺めるような格好だ。
徐々に景色は開け、羽幌炭砿(1970年11月2日閉山)の上羽幌坑跡地を見ながら、上流駅に到着する。再び山間に入り、三毛別トンネルを抜けてしばらく進むと、羽幌本坑跡地の運搬立坑やホッパーが見え、三毛別駅に到着する。その後、三毛別川を7回渡って曙駅に到着する。三毛別~曙間は1962年(昭和37年)12月24日に完成し、非営業線として羽幌炭砿の石炭を運搬していた。
羽幌炭砿の一帯には、最盛期だった1965年(昭和40年)に1万2456人が住み、アパートや学校、病院、商店、劇場などで市街地を形成していたが、今は無人地帯となってしまい、当時の栄華はうかがえない。
曙駅からは羽幌炭砿鉄道(築別~曙~築別炭砿間、1970年12月15日廃止)の路盤を進み、築別川を3回渡って水田地帯を通り抜ける。築別駅手前でカーブし、天塩汐見信号場で羽幌線と合流する。日本海を右手に眺めながら羽幌の市街地に入り、羽幌駅に到着する。


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