初球はストライク、低めの直球が決まった。二球目と三球目は、高めのボール球だ。虎之助は、ストライクボールを選んでいた。高倉は、ツーストライクのカウントになるまでは、決め球の変化球は投げないと読んだのだ。
虎之助は、帽子のつばをなぜながら、隼人と太に合図を送った。
殿、一か八かでござるか。隼人は、微かに笑みを浮かべた。
殿、失敗したら焼き肉は食わせないでござる。太は、緊張を解くように深呼吸をした。
虎之助は、高倉の四球目に的を絞った。
虎之助はスクイズの構えだ。
「前進守備だ」三浦監督が叫んだ。
もらった、虎之助はサードに転がした。俊足の隼人はサードに滑り込み、太は全力疾走でセカンドに滑り込んだが、アウトをとられた。
一回戦から最高の見せ場ができた。
なぜ、スクイズできたのか。高倉は、鋭い眼差しで虎之助を捉えた。
高倉、俺だけの勝負なら真っ向から受けたが、俺はチームのひとりだ。その時が来たなら、真剣勝負をしよう。虎之助は、心の中で胸の内を語った。
橋詰は、高倉の決め球、フォークボールで三振をとられ、チェンジとなった。
優勝決定戦に相応しい再試合に、両ベンチの応援席からは、選手たちに声援が送られた。
三浦監督は、スクイズ戦法のお株を奪われ、いささか大木監督に文句のひとつも付けたい気分だった。
「飛ばしていくぞ、失敗は負けにつながる。心して掛かれ」
三浦監督は、選手の気を引き締めるため、強い口調で言った。
伊藤三兄弟は、それぞれの肩を叩き合いながら、一番の伊藤正和がバッターボックスに入った。
虎之助は、正和が余裕の笑みを浮かべている顔を見て、グローブを二発叩いた。
「虎、力むなよ」虎之助の態度を読み取り、角之進が声を掛けた。
虎之助は、伊藤兄弟のスクイズを警戒し、速い球で勝負を掛けることにした。
正和は、一球目を見送ったが、三球目の高めの速球をバントし、サード白鳥が投げるよりも速く、一塁に駆け込んだ。
「早い」太が叫んだ。
良太がバッターボックスに入るなり、スクイズの構えをしたのだ。
「みんな、抜かるな」角之進が声を掛けた。
良太は、初球から送りバントし、正和を二塁に進めた。
高広は、初球を見送り、ボールを二球選び、レフトへ大きなファールを打ち上げた。
外野は後退を始めた。
虎之助は、山おろしを投げて、バットを振るタイミングを外そうとしたが、バットが動いた。
「サード前進、ショートはカバーに廻れ」角之進が指示を出した。
高広は、スクイズの構えだ。
正和は、三塁へスタートを切った。
サードでアウトにするには間に合わない。
コンという音を響かせ、ボールはサードに転がった。
「白鳥君、ファーストに投げろ」角之進が叫ぶ。
ファーストの朝倉が、手足を伸ばしてボールを受け取った。
「朝倉君、バックホームだ」角之進は更に指示を出す。
朝倉は、太君と叫びながらボールを投げた。
正和は、サードを駆け抜け、バックホームに滑り込んだ。
セーフのコールが響いた。
太のタッチが、わずかに遅かった。
「太、セカンドに投げろ」角之進は、続けざまに指示を出した。
高広は、セカンドで滑り込み、セーフのコールが告げられた。
混合チームの応援席は、沸き上がり、正和コールが起こった。
「太、気にするな」虎之助が太に声を掛けた。
太は、虎之助の励ましの言葉をよそに、応援席に向かって「いや、すまんこったです」と頭を下げた。
「いいぞ、熊本の観光大使」と、割れんばかりの拍手が起こった。
「太の野郎、人気取りに回りやがって」
虎之助が歩み寄り、グローブで太の頭を叩いた。
二人の仕草を見て、両応援席は、大爆笑となり緊張感が抜けてしまった。
中野主審のプレイボールが掛かり、試合が再び始まった。
ツーアウトとなり、四番の小谷政弘を向かえた。右に左にヒットの打てる打者だ。
虎之助は、ツーアウトからのスクイズはないが、バントの構えからのヒットを警戒した。
いかにして、三振で仕留めるか、それともゴロを打たせて仕留めるかを思案しながらも、虎之助の初球は、速い球でストライクを取った。
政弘は、余裕の笑みを浮かべて見送った。
二球目は、高めにホップしたため、ストライクコースから外れ、ボールの判定だった。
政弘の余裕の笑みを見た。虎之助は、意地でも三振に仕留めてやると意気込んだ。
もう一度、内角高めの球を投げた。
政弘は、レフトフライを打ち上げた、橋詰が懸命に追いかけたが、捕球できずファウルの判定だった。
虎之助は、政弘をツーストライクに追い込み、決め球のフォークボールを投げた。
政弘のバットは空を切り、三振に仕留めた。
くそっ、政弘は、バットを地面に叩きつけ、悔しさを表した。
ストライク、バッターアウト、チェンジのコールが、虎之助に安堵の瞬間を与えた。
白鳥は「ご苦労さん」と、虎之助に声をかけながら、ベンチに戻った。
二回表からの攻撃バッターは、篠原大地だ。
「兄ちゃん、塁に出てくれよ」弟の大河が言った。
「頑張るよ」大地は笑った。
だが、大地の横顔は微かに震えていた。二試合続けて、チャンスをものにできなかった事に不安を感じているのだろうと、そう読み取った、虎之助は、バットを握っている大地の手に、ゆっくりと自分の手を乗せた。
「みんな、景気よく行こうぜ」虎之助は、手を乗せるよう促した。
一番上に、キャプテン高橋の手が乗り、高橋は叫んだ。
「けっぱれ桜町、がまだせ桜町、全員野球で優勝だ」
オーッ、力強い声がベンチに響いた。
「さあ、大地君、みんなの力をもらったよ、思い切り振って行きなさい」
女将は、大地の背中を叩いて送り出した。
「大地、諦めるなよ、失敗は誰にでもある。挑戦することが本物の勇気を作り出す。かっ飛ばしてこい」虎之助は、大地にエールを送った。
大地は振り返り、勝利のブイサインを出した。
僕は一人じゃない、僕を応援してくれるナインと監督、応援席の人たちがいる。僕も朝倉君のように男になる。僕に勇気をくれた虎之助君、ありがとう。
大地はバッターボックスに入った。
六番バッターは、八番バッターにつないでいく役目がある。僕が打って塁に出ることで、試合の流れが変わるはずだ。僕は、桜町チームの六番バッターだ。お父さん、見ていてほしい、勇気を出して、僕がヒットを打つ姿を。
大地は構えた、ボールをよく見て、選んでいこうと、自分に言い聞かせた。
初球は見送りのストライク、二球三球とボールが続き、四球目はストライク、五球目から狙いを定めた。内角低めのストライクぎみの球だが、大地はバットを振らなかった。判定はボール、大地は球を選んだのだ。
さあ、決め球のフォークボールか、高倉君投げたまえ、僕がしっかりと見定めてやる。
高倉は、大きく振りかぶって投げた。
大地は、外角低めとつぶやいた。
球は、ストライクコースから外れボールとコールされた。
フォアボール、ランナー一塁へ、主審の指示で、大地は一塁へ駆けて行った。
「兄ちゃん、かっこいいぞ」大河がブイサインを送った。
良く見定めたな、高倉君のフォークボールは、虎之助と同じく、落差が大きいので、高めのストライクコースに入るから、必ずと言っていいぐらい、手を出してしまう。大地は、そこを堪えて、ボールを良く見たのだ、ど真ん中に入らなかったからこそ、手をださなかった。また、ナインの成長を見ることができた。
角之進は、一塁に立つ、大地の自信に満ちた姿に賛美を送った。
「白鳥君、打席に立てる」女将は白鳥の体を気遣った。
「まだ、二回の表です。全力プレイで頑張ります」と、白鳥は、明るい声で答えから、バットを手にして打席へ向かった。
「白鳥君、送る、それとも打つ」朝倉が言った。
「朝倉君、野球はチームプレイだ。大地君の努力を無駄にしたくないから、僕は、大地君を二塁へ送るよ」
「頼んだよ」朝倉は、白鳥を見送った。
バッターボックスへ向かう、我が子の背を見つめながら白鳥の母は、今日ほど、我が子が頼もしく見えた日はないと思った。いつ、心臓病で倒れるか、命に関わるかと、不安を感じているはずなのに、今日の我が子は、その不安を微塵とも感じさせないのだ。
堂々と左バッターボックスに立った、我が子の姿には、凛々しさを感じるのだ。
翔太、頑張るのよ、母は我が子に祈りを捧げた。
白鳥は、初球から狙いを定めた。
球が投げられた。
バントの構えだ。大地は、二塁ベース目指してスタートを切った。
「セカンド前進だ」三浦監督が叫んだ。
白鳥は、器用にサード前にボールを転がした。
大地がセカンドに滑り込み、送りバントは成功した。
ファーストからの帰りに、白鳥は両親に向かって、ブイサインと明るい笑顔を送った。
白鳥の両親は、我が子の奮闘ぶりに、手を叩いて喜んだ。
「サード白鳥、見事な送りバントだ」
応援ベンチにいる応援団は、誰もが白鳥の病気のことを知っている、白鳥の一生懸命さに声援と拍手が起こった。
角之進は、白鳥とハイタッチをしてから、バッターボックスに向かった。
野球とは、球を操る戦と思ったが、大きな間違いであった。この試合で学んだことがある。試合に負けても相手チームを憎むこと無く、健闘を称え合うことだ。お互いを尊敬し合う心が、健全な精神を育て、人として大きな器を持つことができるのだ。殿、殿も学びましたかな、ただ、投げ抜いて競り合うのでは無く、仲間を信頼して、打たせて取ることも必要だと。大地、良く球を見極めたな、必ずサードに進めるからな。
角之進は、一球目、二球目のボール球を見送り、三球目の直球を打った。
レフト正面のヒットだ。
大地は三塁に滑り込んだが、角之進は、一塁ベース前で転倒した。
角之進は両手で踏ん張り立ち上がろうとしたが、間に合わなかった。空しくアウトのコールが響いた。
角之進は、走っているときに足をくじき転倒したのだ。
中野主審から、タイムが告げられた。
「角さん」キャプテン高橋が、角之進のもとへ駆けて行った。その後を、丸井も駆けて行く。角之進は、丸井と高橋の肩を借りて、ベンチに戻ってきた。
「角之進、足は痛む」女将は角之進の身を案じた。
角之進は無念と、一言もらした。
「角之進、大事にしろ、ベンチできちんと指示を出すのも、お前の大事な仕事だ」
虎之助は、角之進に言い聞かせるように肩を軽く叩いた。
角之進は、かたじけのうござると、つぶやいた。
「監督、次の回は守備の入れ替えを頼む」
虎之助は、そう告げるなり、キャプテン高橋にベンチの下に転がっているボールを渡した。高橋は、ボールを握りながら、監督に告げた。
「次の回は、僕に投げさせて下さい。ピンチになっても、来年のエース朝倉君がいるから大丈夫です」高橋は、バッターボックスに向かう、朝倉の背中に向かって呼び掛けた。
朝倉は振り返り「キャプテン、何かあれば僕に任せて下さい」と微笑んだ。
「わかったわ、キャッチャーは丸井君、朝倉君はライト、虎はファーストよ」
「次の回は、しっかり守っていくぞ」虎之助が吠えた。
混合チームのリリーフピッチャーの高倉は、楽しそうにプレイをしている桜町のナインが、なぜか、キラキラと輝いて見えていた。
雨の日も風の日も、高倉は投球練習をした。落差のあるフォークボールを身につけるために、三浦監督の指導を受けて、身につけたのだ。決め球のフォークボールは、どんな打者に投げても三振を取る自信があった。
高倉は、消極的で内気な自分が嫌いだった。事あるごとに、親からグズグズするなと叱責を受けていた。頭でわかっていても体が動かなかったのだ。高倉の母は、野球をすることで積極的に動ける子になるかも知れないとの思いで、三浦監督に預けたのだ。
三浦監督は、高倉を快く受け入れながらも、何事にも恐れずに、自分の意見を言える子にしますと、高倉の母に約束をしたのだ。
高倉は、三浦監督の教えを守りながら、野球と勉学に励んだ。成績が下がると野球を止めさせるとまで監督に言われたが、期待に応えるように頑張ってきたのだ。
六年生エースの山畑は、投げる玉は遅いが、コントロールは良いのだ。そのため、スローボールとスローカーブを教え、打者のタイミングを狂わしながら、打たせて取る方法を教えたと、監督は言っていた。
高倉、お前は力を出し切りながら、速い球を投げろと教えられた。フォークボールを決め球にするなら、速い球で勝負をしろと鍛えられた。
僕はこのまま、負ける訳にはいかない、さっきは、油断をしてフォアボールを出してしまったが、これから先は、三振を取らせてもらうよ。おそらく、君と勝負をすることは、出来なくなったが、僕は、三浦監督に育てられた、三試合フルに投げられる、リリーフピッチャーだ。勝敗を考えずに、ナインと楽しくプレイをすることも大事だが、優勝のために、僕は投げ抜く、虎之助君、僕の力を見てくれ。
高倉は直球勝負で、朝倉に挑んだ。
朝倉は、高倉の速球に振り遅れて、三球三振を喫した。
二回の裏が始まった。
混合チームは、五番の小谷政伸からの攻撃だ。
エース高橋は、最後の試合に全力を尽くしますと、監督に告げてから、マウンドにあがった。高橋は、野球ができることに喜びを感じていた。熊本の五人が来なければ、対抗試合に出ることはなかったのだ。
毎年のように、バックネット裏で、同級生たちの試合をながめながら、試合のできない辛さをかみ締めていたのだ。だが、今はちがう、優勝を掛けて投げるのだ。丸井君には感謝をしている。ピッチング練習につきあってくれた、白鳥君も橋詰君も、大地と大河も、試合には出られない悔しさよりも、いつかは試合に出られるよ、と希望を持ち続けてきたのだ。高橋は、ここにいる仲間のために、一球、一球、感謝を込めて投げることを、自分に言い聞かせた。
高橋の切れ味鋭いカーブが、簡単にスクイズをさせなかった。政伸は、ゴロを打たされアウトとなった。続く、高山も落差のあるカーブに手が出ずに三振をした。
高倉がバッターボックスに入った。
凄い、高倉は、エース高橋の投球に押されてしまった。六年生の投げるカーブの速さと落差に迫力を感じた。虎之助の速球とはちがう迫力があると、それと、一球、一球投げた後に見せる笑顔に戸惑いを感じながらも、高倉はバットを構えた。
初球からカーブだ。
高倉は、速いカーブにバットが出なかった。
甘いカーブに、サードライナーを打たされ、白鳥がしっかりと受け取り、バッターアウトのコールが響き、チェンジを告げられた。
三回の裏、いよいよ最終回を向かえることとなった。
混合チームが一点を死守するか、桜町チームが、一発逆転になるか、誰もが予想をしていなかった試合展開となった。
「悔いの無いように、思い切りバットを振ってきなさい」
女将は、隼人と大河を送り出した。
隼人は、胸を拳で軽く叩きながら、少しだけ赤く白み出した青空を見上げた。
この空の色だ。野球は青空の色でござる。そして、赤は情熱でござる。青は、未完成の色で有り、技量を増すことで藍色になる。野球をとおして、技を磨くだけでは無く、心を磨くことができるのだ。赤は血の色でござる。だが、この血は、戦場で流す血では無く、汗と涙の血だ。悔しいときの涙も、嬉しいときの涙も、三振したときの汗も、ヒットを打ったときの汗も、燃えたぎる血潮であり、暖かい血潮でござる。
殿、殿は、この野球をとおして、何を感じてくれたでござるか。
三浦監督は、高倉を続投させた。
隼人は、バッターボックスに立ったとき、高倉に三振を喫したことを思い出した。
高倉のフォークボールに三振を喫したとき、この男にだけは、真剣で勝負せねば失礼と思った。先ほどは、スクイズで失礼をした、この打席は、真剣にて、お手合わせ願いたい。
隼人は、帽子を脱いで一礼をした。高倉も、隼人に習い一礼をした。
「先ほどは、スクイズをして申し訳なかったが、この勝負は、真剣勝負でお手合わせ願いたい、高倉君、いざ勝負だ」
「望むところだ」高倉は、隼人との真剣勝負に挑んだ。
大木監督、あなたは不思議な人だ。緻密な作戦を立てて攻撃してくると思いきや、選手に自主的な攻撃をさせ、選手の心を高揚させながら自信をつけていく、あなたの選手たちの笑顔は、本当に野球を楽しんでいる笑顔だ。だが、私には、子供たちの親に託されているものがあるのだ。この試合に勝って、堂々と意見を述べられる、積極性を身につけた子にしなくてはならないのだ。
「高倉、決め球で勝負していけ」
三浦監督は、高倉の心意気を受け止め、真剣勝負を許したのだ。
高倉は、腕を振り切りフォークボールを投げた。
隼人は、球の落ちる位置にバットを合わせて振り切った。
快心の音を響かせたが、山畑の正面のサードライナーで捕球された。
「高倉君、ありがとう」お礼を述べて、隼人はベンチへ向かった。
隼人君、君は凄い人だと思う、同じフォークボールでも、絶対に三振に出来るコースの球をライナーにするなんて、サードの頭を越せばヒットだ。君はきっと、一流選手になれるよ。高倉は、隼人に敬意を表し、心の中でつぶやいた。
大河は大きく深呼吸をしてから、バッターボックスに立った。
兄の背中を追いかけながら、試合に出られたことは、何よりも嬉しかった。来年になると、大地は中学生だ。今度は、一人で頑張らなくてはならない。一緒に三遊間を守ってくれるセカンドの選手を探さなくてはならないのだ。同級生の倉橋君が来てくれればいいなと、大河は思った。
大河は、ど真ん中のフォークボールを転がし、ファーストでアウトとなった。
混合チームのベンチでは、後一人コールが起こった。
「キャプテン、僕の最後の望みを聞いて欲しい」
「丸井君、なんだい」
「キャプテンのピッチングフォームは見た、だが、この試合のバッティングフォームは見ていない、僕は意地でも塁に出る、キャプテンに打順をつなぎたい」
丸井は、キャプテン高橋に右手を差し出した。高橋は、しっかりと丸井の手を握った。
「必ず、塁に出るから」
そう言い残して、丸井はバッターボックスに向かった。
丸井と高橋は、四年生の時から、一緒にピッチングの練習をしてきたのだ。試合に出られない悔しさよりも、いつかは出られる時が来ると希望を抱きながら、練習に励んできたのだ。試合に出られなくても、ちびっ子広場のゴミ拾いやグランドならしをしてきた。
町内会の人たちは、二人の姿を見て、町長にお願いにあがった。どんな形でもいいから、試合に出してあげてほしいと。実行委員会からは、町内ゆかりのある小学生であれば、町内外問わず、助っ人を認めるとの回答を出した。町内会の主立ったメンバーたちは、牧場旅館の女将こと、大木監督に相談をしたのだ。
大木監督は、私が監督をします。その代わり、人を集めます、了承して下さいと念を押したのだ。
丸井は、この話しを両親から聞かされ、牧場旅館の女将にお礼を言いに言ったのだ。このとき、女将からは、まだ内緒よ、と口外することを止められていたのだ。女将さんが、ちびっ子広場で、試合に出られる話しをしたときに、不安ながらも、一番喜んだのは、高橋だった、女将は、高橋の笑顔を忘れることはできないのだ。
「もう一度、一緒に笑ってみようか、キャプテン」丸井はつぶやいた。
丸井は、キャッチャーとしての感がある。高倉の球を良く見ていた。
落ちる位置を見極めることで、打つことはできるが、飛ばすことはできない。なぜ、太が敬遠されたのだろう。太は下から上へ打ち上げる、アッパースイングを得意としている。当たればホームラン性のフライを飛ばすことができるのだ。ならば、アッパースイングで当ててみよう。
丸井は、フォークボールで攻めてくる、次の球に狙いを定めた。
バットが振られた。快音が響き、丸井は走った。
レフト前ヒットだ。桜町チームの応援ベンチは、一気に盛り上がった。
「キャプテン、頼むぞ」キャプテンコールが始まり、相手チームからは、後一人、コールが沸き上がった。
「高倉、これが最後と思って、力一杯、投げ抜け」三浦監督は、高倉に向かって叫んだ。
「高橋君、悔いの無いように、思い切り振り切るのよ」
大木監督は、高橋に全力プレイをするよう指示をした。
両監督の思いを受けながら、両者は対峙した。
高倉の初球が投げられた。ストライクのコールが響く、高橋は、二球、三球を見送りながら、ストライクコースに狙いを定めた。
凄い威圧感だ。高倉は、高橋の大きさを感じた。だが、負ける訳にはいかない、この一球が優勝を決めるのだ。
高倉は、決め球のフォークボールを投げた。
来た、丸井君、君の意志は僕がつなぐ、高橋は、狙いを定めてアッパースイングで振り切った。センター前のヒットだ。センターが捕球ミスをしている間に、丸井はホームを目指した。
「おおっ、丸井君はホームに向かっているぞ、頑張れ、丸井」
応援席から、丸井への声援が沸き起こった。
センターから、バックホームめがけて、矢のようにボールが返ってくる。
丸井は頭から滑り込んだ。
土煙が舞い上がり、一瞬の静けさの中から、セーフ、ホームインのコールが告げられた。
同点だ、橋詰はつぶやき、バットを握りしめた。
「橋詰君、思い切り振り切るのよ」
女将は、橋詰に声を掛けて、ベンチから送り出した。
橋詰は、初球からファールフライを打ち上げて、アウトとなった。
チェンジのコールが響き、三回裏の最終回を向かえた。
混合チームが、一点を入れれば優勝だ。
桜町チームは、意地でも守り抜かなくてはならない。
キャプテン高橋が、選手を集めて円陣を組んだ。
「これが最後の円陣だ。悔いの無いように、この回を守り抜こう。けっぱれ桜町、がまだせ桜町、全員野球で頑張るぞ」
キャプテン高橋は、声を張り上げて、小学生最後のエールを叫んだ。高橋の声は、グランドに響き、最終回に相応しいエールだった。
選手たちは、大木監督の掌にタッチして、グランドへ小走りに駆けて行った。サードは、白鳥に替わって、一が守ることとなった。
太が応援席の前に飛び出し、「さあ、皆さん、桜町の応援を宜しくお願いします」と、頭を下げて、桜町、桜町と、手拍子をしながら、ベンチに引っ込んだ。
混合チームも負けまいと、選手たちにエールを送った。
後にも先にも、この回で優勝が決まるのだ。
「池原校長、この試合、私は引き分けと見ますが、その際はいかがしますか」
安藤町長は、結果を予想するように尋ねた。
「天下三分の計という訳ではありませんが、両者を祝福するのもありかと思います」
「私も同感です、それでは、念のために準備をしておくこととしましょう」
安藤町長は、実行委員の三代目石谷若社長を呼び、耳打ちをした。
プレイボールが掛かるまでの間、高橋は三球ほど投げた。
高倉は、高橋が投げる落差のあるカーブや伸びのある直球に憧れを抱いた。僕も速いフォークボールを投げてみたい、試合が終わったら、どうしたら、このようなボールを投げることができるのか、高橋君に聞いてみたいと思った。
「高倉、山畑と高橋は同じキャプテンなのに、桜町の高橋の方が、大きく見えるだろう。それはな、高橋はキャプテンという立場で、負けても勝っても仲間を引っ張っていくという、大らかな気持ちで、仲間を引っ張っているからだ。仲間もキャプテンを信じているからこそ、打たれても、仲間が補玉してくれる。点を入れられても、仲間が点を入れてくれる。高橋は、仲間との信頼があるからこそ、思い切って投げられるのだ。お前は、来年度からキャプテンになる、高橋のピッチングを良く見ておけ。俺は、監督として、山畑を高橋のように育てることはできなかった。山畑にないものは、仲間を全面的に信じる気持ちなのだ。山畑は、俺がいなければ試合には勝てないという思いで投げているのだ。山畑が個人プレイに走るのは、その表れかもしれんな。お前は、仲間と自分の投球を信じろ、そしてな、高橋の生き生きとした顔を良く見ておけよ」
そう言いながら、三浦監督は笑みを浮かべながら、高倉の頭をなぜた。
大木監督、この試合、勝たせてもらいます。三浦は、高倉の母と約束した言葉をかみ締めた。必ず、責任感のある強い子にしてみますと。
主審のプレイボールの一声で、最終回が始まった。
「しまっていこう」キャッチャー丸井が叫び、仲間が呼応した。
さあ、これが最終回だ。小学校最後の思い出づくりだ。
高橋は、大きく振りかぶって投げた。
伸びのあるストレートと落差のあるカーブが、打者を三振に打ち取った。
田口、山畑を三振に打ち取り、伊藤三兄弟に打順が回った。
桜町応援ベンチからは、後一人コールが沸き起こった。
伊藤正和が、バッターボックスに入った時、グランドが静まり返った。
時計の秒針を刻むように、両ベンチには、勝負に賭ける二人の緊迫感が伝わってきた。
高橋は、丸井のサインに首を横に振り、次のサインを要求した。
高橋は、笑みを浮かべてうなずいた。二人のサインが一致したのだ。
正和は、狙い球を定めている。狙いどおりの球ならば、ヒットにすることができるのだ。高橋のカーブは、落差はあるが、ストライクコースに入る。当てれば足でヒットにすることができる。正和には、ヒットにする自信があるのだ。
正和はカーブに狙いを定めた。
内角にストレートが決まった。外角高めはファウルにされた。
高橋は、伸びのあるストレートを投げる、ツーストライクに追い込んだ。
正和は、当てが外れた。三浦監督は、「打て」のサインを出した。ツーストライクに追い込まれれば、バントヒットは難しい、むしろ三振するよりも、ゴロを転がしてでも、塁に出ることを進めたのだ。
良くここまで頑張ってくれました。忠広様、素晴らしい思い出をプレゼントすることができそうです。貴方のお父様たちのお力を借りて、高橋君ばかりではなく、選手たちが、笑顔で試合に臨んでいます。この子たちは、知恵を出し合いながら、これから来る困難に立ち向かっていけるでしょう。
女将は、数日の練習で、ここまで成長してくれた選手たちに、心からありがとうとささやいた。選手たちの勇姿を、高橋の一投を涙で曇る眼で見つめた。
僕は、桜町少年野球部のキャプテンだ。打てるものなら打って見ろ、高橋は心の中で叫びながら、渾身の力で投げた。
ストライク、バッターアウト、両チーム引き分け、中野主審の力強い声で、試合は終わった。
中野主審の指示に従い、選手たちは、ホームベースをはさみ整列し、向かい合ってから礼をした。
三浦監督は帽子を脱いで、大木監督に向かい頭を下げた。女将も帽子を脱いで、礼を返した。
中野主審が、両監督に声を掛けた。「最高の試合をありがとうございました」と。
二人は、同時に頭を下げた。
「さあ、皆さん、これから閉会式が始まります」
中野主審は、そう告げると、小走りに表彰台の方へ駆けて行った。
「大木監督」三浦監督が声を掛けた。
女将は、笑みを浮かべながら、駆けてくる三浦監督を見ていた。
「大木監督、完敗です。引き分けましたが、我がチームの負けです。でも、来年は勝たせてもらいます。練習をしながら、選手たちの心身を鍛えます」
「三浦さん、来年は、じっくりと選手を育てていきます。熊本の友達は、今回だけですから、じっくりと桜町ナインをつくりあげていきます。何年掛かるでしょうか、私の生き甲斐にしようと思っています。三浦監督、来年は必ず、優勝して下さい」
女将は、ゆっくりと頭を下げた。
「それは困りましたな、ライバルがいないと、チームの志気に影響しますな」
三浦は頭をかきながら笑った。
「監督、始まります」一が手招きをした。
「虎、両方とも優勝かな、俺たちが準優勝なら、焼き肉はごわさんか」
太は、寂しげな顔で、虎を一瞥した。
「馬鹿野郎、焼き肉が食えるに決まっているさ、引き分けだろうが、両チームの優勝よ」
虎は声を張り上げた。
虎たちは整列をさせられ、石谷若社長の司会で閉会式は始まった。
閉会式は、決勝進出チームのパンケ・中成・開成チームと桜町チーム、幸町チームで、行われた。
優勝旗と優勝カップの授与が始まり、混合チームのキャプテン山畑が、優勝旗を受け取り、桜町チームのキャプテン高橋が、優勝カップを受け取り優勝を分け合った。
大会委員長の挨拶の前に、個人賞の発表があり、熊本の子供たちは、町外からの参加のため、個人賞は該当しないことを前置きされた。
最優秀選手賞は、大量得点を叩き出した、伊藤高広が選ばれた。最優秀投手賞は、決勝戦で力投を見せた、高倉が選ばれ、大きな拍手をもらった。打撃賞は小谷政弘、盗塁賞は伊藤正和が選ばれ、混合チームの強さを際立たせた。
ファインプレイ賞は、難しい球を印象深くキャッチしていた、白鳥が選ばれ、割れんばかりの声援をもらった。バッテリー賞は、ピッチャーとキャッチャーのコンビが授与される賞だ。高橋と丸井が呼ばれ、二人は抱き合い、それぞれ賞状をもらった。
最後に、これから最も期待される五年生以下に贈られるホープ賞には、混合チームから、巧みなバントさばきで、打順をつなぎながら得点チャンスを広げた伊藤良太、桜町チームからは、準決勝で決め球を投げて、男の意地を見せた朝倉、幸町チームから、一番打者の巧みさと強さを見せた後藤が選ばれた。
受賞者には、応援席から惜しみない拍手が贈られた。
大会委員長の池原校長が挨拶に立った。
「皆さん、最後まで全力プレイで試合をしてくれて、ありがとうございました。昭和五十三年の上下町公区対抗少年野球大会は、近年、まれにない、手に汗握る投手戦があり、歓声どよめく打撃戦あり、感動で目頭が熱くなる場面もありました。
今年の決勝戦は、初出場のパンケ・中成・開成チームと桜町チームの新人チームと、歴史のある幸町チームとの試合となり、三チームとも予想を上回る試合展開で、感動を与えてくれました。三チームは、それぞれ独自の戦法を見せてくれました。幸町チームの下谷監督が見せてくれた、野球のお手本となるような攻守を活かした戦法、パンケ・中成・開成チームの三浦監督が見せてくれた、スクイズを使い機動力を活かした戦法、そして、桜町チームの大木監督が見せてくれた、仲間を信じるチームワークを活かした戦法を見せてくれました。どの試合も、心に残る試合でした。
六年生の皆さんは、忘れられない思いでが、できたと思います。五年生以下の皆さんも、来年の試合を目指して頑張って下さい。最後になりますが、応援をして下さいました、町内会の皆様、主審の中野先生、実行委員会のご一同様に、お礼を申し上げるともに、ここにいる選手たち、熊本から来た選手たちに、今一度、大きな拍手をお願いします」
挨拶を閉め、池原校長は、深々と頭を下げて演台を下りた。
石谷若社長は、目頭を押さえながら、閉会式の終了を告げた。
牧場旅館の健ちゃんが、ハンドマイク片手に、選手や応援団を呼び止めた。
「今晩は、牧場旅館で祝賀会だ。ジンギスカンの焼き肉パーティだ。ビールとジュースは、思い切り飲んでくれ、五時開始だ。必ず来てくれ、他のチームは、大広間で待っているぞ。着替えずに集合だ。池原校長、安藤町長、中野先生、実行委員会のみんな、必ず来てくれよ」
健ちゃんは、声をからしながら叫びまくった。
応援席からは、歓声が湧き上がり、すかさず、太が飛び出し、応援席に向かって「お待ちしています」と手を振った。
あの野郎、また、人気取りに回りやがって、虎之助が太に駆け寄った。
「太、お前が金を出すわけじゃないだろう、人一倍食う野郎が」
虎之助が太の頭を小突いた。
二人の滑稽な仕草を見て、グランドに笑い声が響き渡った。
牧場旅館では、盛大に祝賀会が行われた。
高橋と丸井は、山畑と高倉の向かいの席に座っていた。
「延長戦をしていたら、どっちが勝ったかな」山畑が高橋を見ながら言った。
「そうだね、引き分けで勝負がつかなかったと思うな」
「どうして」高倉が高橋から答えを引きだそうとした。
高橋は、箸を置いてから話し出した。
「僕と高倉君は似ているからさ、七回までは投げ抜くことができること。決め球のカーブとフォークボールに落差と伸びがあれば、球が速く見えることかな、それができれば、そう簡単には打たせない自信があるからだよ」
「二人はいいよな、俺みたいなスローボールピッチャーは、強打者には強いが、下位打線には弱い、ピッチャーは、俺と高倉しかいないので、三浦監督は、俺たちに教えたことは、正反対の教えだった」
「それって、何か監督の考えがあったの」
丸井は箸を置き、山畑の話しに集中した。
山畑はうなずいた。
「俺の場合は、投げる球が遅いだけに、打たれればヒットになる可能性が高い、監督は、コントロールを高めるために、的を外すなと叫びながら、内角にも外角にも投げられる投球の特訓が続いたんだ。そのうえ、監督はこう言った、守備の仲間を信じるな、自分の力で投げ抜けと鍛えられたのさ。でも、高倉はちがったよな」
「僕は、仲間を信じろ、打たれれば仲間が守ってくれると、監督に教えられました」
高倉は口を押さえて言った。
山畑は、ジュースを呑みながら、再び話し出した。
「高橋君や丸井君なら、監督が俺たちに何を期待していたのか、およそわかると思うが、俺たち二人の性格を直すためだったのさ。こんな特訓をさせられて、意味がわからなくて途中で投げ出した時に、馬鹿者、また、言い訳をして、人の性にするつもりか。有言実行だ、最後まで頑張れと気合いを入れられたのさ。俺は、監督の言っていることがわからなくて、担任の先生に相談をしたら、こう言われた。
君は、自分勝手な行動を取ることが多いぞ。野球をすることで、キャプテンになることで、仲間を勝利に導くことの責任を負わされたのさ、キャプテンがくよくよすると、試合に負けるぞ、有言実行とは、口にしたことは、何が何でも成し遂げることだ。この試合に勝つと決めたら全力を尽くす。三浦監督は、さらにこう言った、仲間が点を入れてくれるから、お前は打たれるな、自分を守り抜けと言った。
俺は、キャプテンをしたが、仲間に気を遣うようなキャプテンじゃなかった」
山畑は、そう言って少しうなだれた。
「山畑君、食べようぜ。三浦監督って、放課後の先生みたい人だな」
丸井は、ジンギスカンを頬張りながら言った。
「そうなんです、三浦監督は、リトルリーグの監督代理やコーチまで勤めた人です。なぜ、この田舎に来たのかは謎なのです。僕は、言いたいことも言えない性格でした。お母さんが、三浦監督にお願いをして、意見の言える子にして下さいとお願いしたのです。僕は、フォークボールを教えてもらう時に、三浦監督は、こう言ってくれました。天下無敵の変化球を授けるからな、これを覚えれば恐い物なしだ、自信を持って投げるんだぞ、でも、このボールは、落ちなかったら外野フライだ。そんなときはどうする。仲間を信じることだ」
「そうか、高倉君は、楽しく自信をつけてもらったのか」
高橋は、そう言いながら山畑を一瞥した。
「なっ、ちがうだろう、俺は毎日が厳しかったな」
山畑は、笑いながら肉を口に入れた。
「高橋君は、堂々と投げていたけれど、緊張はしなかったの、最終回は、どう切り抜けたの」高倉は、どうしても気になることがあり、高橋に聞いたのだ。
高橋は、ジュースを一口呑んでから、立ち上がり、桜町チームの選手たちに声を掛けた。
「高倉君、そして、ここにいる皆さん、聞いて下さい。僕は、決勝戦で堂々と投げられたのは、ここにいる仲間を信じる心があったからです。打たれても必ず、全力でキャッチしてくれる仲間がいるからです。それを教えてくれたのが、大木監督です。
桜町野球部の練習は、大会の一週間前から始まりました。熊本の仲間たちは、ほとんど野球をしたことがありませんでした。虎之助君と角之進君は剣道、隼人君と一君はランニング、太君は相撲、得意のスポーツはあっても、野球は得意な方ではなかったのです。五人は僕らと大会に出るために、一緒に練習をしてくれました。
虎之助君は、大会に出る以上、優勝を目指して頑張ろうと言ってくれました。五人の全力プレイを見て、僕たちは、大木監督に言われました。楽しく勝ちましょう、全員野球で優勝しましょうと、言ってくれました。虎之助君と太君のバッテリーに助けられながら、僕と朝倉君は、最後まで投げ抜き頑張ることができたのです。
仲間を信じることで、勝ち取った優勝です。皆さん、応援をしてくれて、ありがとうございました」
高橋からの感謝の言葉が、皆を感動させ、拍手が起こった。
健ちゃんが、調理場から大広間に現れ、一声をあげた。
「それでは、各監督から選手の紹介をして下さい。最初は、桜町チームの大木監督お願いします」
拍手に導かれ、女将は選手を紹介した。
熊本の斬り込み隊長、一番、センター、庄林隼人。桜町の小さな巨人、二番、ショート、篠原大河。桜町の副キャプテン、三番、キャッチャー、丸井雄太郎。桜町のキャプテン、四番、ピッチャー、高橋浩志。桜町の次期キャプテン、五番、レフト、橋詰智宏。
桜町のチャンスメーカー、六番、セカンド、篠原大地。桜町の名三塁手、七番、白鳥翔太。
熊本の作戦奉行、八番、ライト、飯田角之進。熊本の総大将、九番、ファースト、加藤虎
之助。そして、熊本の観光大使、代打、森本太。熊本のそろばん奉行、代走、金山一。
最後に、桜町の次期エース、リリーフピッチャー、朝倉良介。以上、桜町チームの選手たちです。
大木監督と選手たちは、大きな拍手をもらった。
次々と各チームの監督と選手が、健ちゃんの司会で紹介されていった。
祝賀会が終わる頃、高倉は、虎之助に声を掛けた。
「虎之助君、今度、勝負をしたら、僕は勝てるかな」
高倉が凛とした声で言った。
「高倉君、君の勝ちだ。決勝戦でバントをしたのは、チームを勝たせるためだ。勝負をしたら、俺は三振していただろう。君のフォークボールは本物だ、将来が楽しみだね」
虎之助は、そう言い残して去ろうとした。
「今度、勝負できるかな」
「高倉君、これから先は、俺よりも凄い打者と勝負しなくてはならない、精進してくれ、そうすることで、日本一のピッチャーになってくれ」
虎之助は、振り返らずに部屋に戻った。
部屋には、太たちが寝転がっていた。
「太、食って寝ると豚になるぞ」虎之助が一喝した。
「殿、豚じゃない、牛だ」隼人が訂正を入れた。
「どうでもいいわ、明日は、熊本に帰らねばならん。皆の者、楽しかったか」
「殿、とても感動したでござる。お互いの健闘を讃えることは、これほど胸に染みるとは、思ってはいなかったでござる」隼人が目頭を押さえた。
「そうか、高橋君に思い出をつくることが目的であったが、我々が、忘れられない思い出となりそうじゃのう」虎之助は涙を堪えていた。
「虎、泣くな、足音がする」太が半身を起こした。
間もなくして、ドアがノックされ、高橋君が入ってきた。
「みんなのお陰で優勝することができました。ありがとうございます」
高橋はお礼を述べて頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうでござる」角之進がお礼を返した。
「みんなに聞いてもらいたいことがあって」
「なんでござるか」と隼人。
「僕は、北海道に来る前は、熊本に住んでいました。熊本の町は、加藤清正公のお陰で、水の豊かな町になりました。死んだお婆ちゃんに教えられてきました。この他にも、清正公や加藤家三傑の功績を聞いています。みなさん、素晴らしい方たちです。お婆ちゃんが努力の家臣を教えてくれました。その一人で朝鮮から来た、金管がいます。金管は、肥後の国づくりに努力をした一人です。町づくりのために、一生懸命に努力をしたと聞いています。僕は、みなさんが、加藤家ゆかりのある方たちだと思います。きっと、お婆ちゃんが会わせてくれたものだと思っています。一言、お礼が言いたくて来たのです」
高橋は、キラキラとした眼差しを向けた。
「高橋君、ありがとう、俺たちは加藤家にゆかりのある者だ。一言だけ、高橋君に知っておいてもらいたいことがある。金管のことだが、加藤清正が死んだとき、金管も後追い自殺をした。確かに、金管は忠義者だが、命を絶ったことに、清正は怒ったのだ。もう少し、生きていれば、民のために貢献することができたはずだと、清正は残念がっているのだ。高橋君、これからは俺たち、そして、天国にいる金管たちが応援している。もちろん、お婆ちゃんも応援している。高橋君が、俺たちに教えてくれた言葉があったな、最後までベストを尽くそうだ、この言葉を思い出す度に、俺たちも汗と涙で勝ち取った感動を忘れることはないだろう」
金管は目頭を押さえていた。
高橋は、虎之助の言葉に励まされた。試合ができることを夢見ていた。夢は、いつか叶うはずと、丸井が励ましてくれた。試合ができなくても練習を重ねた。
熊本の五人が来て、女将さんが監督を引き受けてくれて、夢が叶った。多くの人たちに応援され、励まされたことに、感動し涙が流れた。
「さあ、思い出の言葉を残そうぜ」
太が左手を差し出した。
隼人も、角之進も、一も、高橋も掌を乗せた、虎之助が一声を上げた。
「けっぱれ桜町、がまだせ桜町、全員野球で頑張るぞ」
オーッという、叫び声が、高橋の胸に明るく響いた。
「殿、いよいよお別れですね。とても楽しい一時でした。ありがとうございました」
女将は、虎之助に礼を言った。
「女将、今度、会うときは夫婦で会えるといいのう」
虎之助は、いつもの清正に変わっていた。
「まあ、その台詞は、何人の女に言ったことやら」
女将は、清正の腕をつねった。
「痛、女将、そう怒るな、忠広から連絡があった。女将は、子供たちの成長を見守るため、もう少し生きてくれぬか。秋になれば、ホロナリダムの調査も始まるようだ。この旅館にも人が集まろう、病気のことは気にするな、忠広が付いているからな、それと、この先の少年野球は、変化球を投げることが禁止になる。肘や肩に負担がかかり成長を妨げるようだ。だが、子供たちは、直球から自然に曲がり、自然に落ちる球種を身に着けるだろう、子ども達の活躍は、未来永劫変わらないだろう、目を離すことはできないぞ。そして、俺たちも変わりはしないぞ」
清正は女将を抱きしめた。
女将は、このまま清正に抱かれ、時が止まればいいと祈った。
別れの朝、五人は雲の船に乗り、天界へと出航した。
それぞれの声が、女将世話になった、達者で暮らせよ、惚れ直したぞ、と感謝の言葉を残していった。
「忠広様、高橋君たちへのプレゼントは、無事に届けることはできましたよ。私にも、勇気というプレゼントを授けていただき、ありがとうございました。来年の公区野球大会、頑張ります。期待して下さいね」
女将は、朝焼けの空に向かって、優しく微笑みながら祈りを捧げた。