勝負、二人の双眸は燃えていた。ヒットか、三振か、二人の体から出る緊迫感が、見る者たちを圧倒させた。
高倉は、リリーフ投手だが、来年はエースとしてチームを引っ張らなくてはならない。
高倉の第一球が投げられた。
ストライクが告げられた、内角にストレートが投げられた。
二球目は高めのストレート、三球目も高めのストレートだが、ボールの判定だった。
虎之助のタイプならば、高めのストレートを好むと思ったが、当てが外れた。高めを打たせてフライで仕留める、又は、ファウルでカウントを取り、決め球で三振にするつもりだったが、球を選んでいることに、高倉は気がついた。
ならば、これでどうだ、速いストレートが外角高めに入った、ストライクだ。
虎之助は、ツーストライク、ツーボールに追い込まれた。
よし、チャンス到来だ、決め球を投げるには絶好なカウントだ。
高倉は、ランナーを一瞥してから、決め球を投げた。
虎之助の肩が動いた。
バットが火を吹いた、カキーンと、心地良い音を残して、センター前ヒットを放った。
二塁ランナーの大河が、三塁を周りホームベースに滑り込み、一点を先取した。
虎之助は二塁まで走り込んだ。
ワンアウト、ランナー二塁、もう一点ほしいところだ。
桜町の応援ベンチは盛り上がった。
「監督、僕、虎之助君をサードに送ります、成功したらホームスチールで勝負を賭けて下さい」橋詰は、女将にホームスチールへの策を申し出た。
「僕も賛成です」キャプテン高橋が賛同した。
「待ってくれ、橋詰君の次は、僕じゃないか」篠原大地は不安そうに言った。
「兄ちゃん、兄ちゃんならできるさ、僕の自慢のスイッチヒッターじゃないか」
大河は兄を自信づけるように言った。
「大地君、左に入ってくれないか、もしかすると、今まで右バッターしか、相手にしていなかったから、球が甘くなるかも知れない」白鳥は大地の背を軽く叩いた。
「白鳥君、やってみるよ」大地は笑顔で答えた。
橋詰は、三回素振りをしてから、バッターボックスに入った。
初球から走らねばならぬか、と虎之助はつぶやいた。
橋詰は、初球は速いストレートと予想している。
高倉は、ここで打ち取らなければ負けるという、焦りが出てきた。
三浦監督は、タイムを要求した。
内野を集め、手短に指示をしてベンチに下がった。
「高倉君、仲間の守りを信じろ」サードの山畑が叫んだ。
高倉は笑みを浮かべて、山畑を一瞥した。
俺には仲間がいる。
辛い練習を共に耐え抜いてきた仲間がいるのだ。
高倉は気を取り戻し、第一球を投げた。
橋詰のやまは当たった。
外角高めのボールをスクイズした。
コン、と小気味良い音を立てながら、ボールは転がった。
虎之助君はサードに滑り込み、チャンスを広げた。
橋詰は全力疾走したがアウトとなった。
「兄ちゃん頑張れ」大河が大地にエールを送った。
ツーアウトの最終回だ。
女将は、大地に向かいうなずいた。
大地は、左バッターボックスに立った。
高倉は、一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、気を取り直し、セットポジションに入った。
来る、大地はバットのグリップに力を込めた。
一球目が投げられた。
「スクイズだ、内野前進、カバーに入れ」三浦監督の指示が飛んだ。
虎之助は、三塁から飛び出している。
大地は、バントでボールをセカンド方向に転がした。
大地の足ならばファーストまで間に合うだろう、虎之助は、ホームベースに滑り込んだ。
前進守備でボールを取ったセカンドが、ホームベースを守っているキャッチャーに投げた。土煙の中、主審のコールが告げられた。
アウト、ホームスチールは失敗した。
キャッチャーの後ろには、ファーストと高倉が、しっかりとガードしていた。
本来、セカンドが捕球したなら、ファーストでアウトにできるところだが、ファーストがキャッチャーのガードに入ったので、ホームで虎之助を仕留めたのだ。
虎之助は、やられたと悔やんだ。
女将は、悔しがる虎之助をベンチで励ましながら、笑顔を振りまいた。
「さあ、最終回、しっかり守っていくのよ」
「監督、混合チームは、スクイズ戦法で来るぞ、俺は、仲間を信じて投げ抜くからな、試合の最中でも指示をくれ」
虎之助の双眸は燃えていた。
太がミットを抱え、隼人、角之進、一が、グローブをはめてグランドへ駆けていった。
「虎、負けては駄目、勝つか、引き分けよ」
虎之助は、大きくうなずき、駆けていった。
流石は三浦監督、一枚上手でしたね。錦町との試合で成功した、ホームスチールを見ていたのですね。こちらは、虎之助の馬力をもって、キャッチャーの落球を読んでいたのですが、見事に裏をかかれました。
虎之助は、マウンドに立ち、大きく深呼吸をして冷静さを取り戻そうとしていた。
最終回の混合チームの攻撃は、伊藤三兄弟から始まる。
伊藤正和は、バントヒットで塁に出るため、いきなりスクイズの構えを見せた。
サード前進、セカンド前進、角之進が指示を出した。
虎之助は、山おろしを投げた。放物線を描きながら左に流れた。
判定はボールだ。
二球目の直球が投げられた。
伊藤正和は、スクイズの構えからバットを持ち替えた。
虎之助の重い速球が、サードの頭上を越えた。
レフト橋詰が、猛ダッシュでヒットを捕球し、セカンドに投げた。
伊藤正和は、ファーストで止まり、お決まりの攻撃に笑みを浮かべた。
伊藤良太が、スクイズの構えで、初球からバントヒットを狙っている。
「虎、落ち着け」角之進が声を掛けた。
「ショート前進」角之進が再び、指示を出した。
前回、伊藤良太は、前進守備のサードの裏をかいて、ショートにバントヒットをして、内安打にしているからだ。
女将は、角之進の采配を見ることとした。
ボールが投げられた。
スクイズの構えで、内角のボールを当てたが、セカンドとファーストの間に転がった。
伊藤正和は、サードに滑り込んだが、伊藤良太のゴロは、虎之助の長い手で阻まれ、ファーストでアウトとなった。
角之進は、迅速な動きで、ファーストのカバーに入っていた。
最終回、ツーアウト、ランナー三塁、混合チームは、最高の見せ場をつくった。
混合チームの応援ベンチは、最高に盛り上がりを見せている。
伊藤高広は、ゆっくりとバッターボックスに入った。
「スクイズのホームスチールでも、ヒットエンドランでも来るなら来い、俺たちの守りは固いぞ」角之進が叫んだ。
ライトの坊や、このチームは、バント戦法だけではないのだぞ。三浦監督は唇を歪めた。
虎之助は、山おろしと直球を交互に投げた。
ワンストライク、ツーボール、両ベンチの応援席からの声は消えた。
虎之助は直球を投げた。
伊藤高広のバットが振られた。
カーン、という響きを残して、ボールはセンター前に落ちた。
全力疾走で、隼人が捕球し、矢のような返球を投げた。
太は、ホームベースを守りながら、隼人の返球を受けた。
土煙の中、セーフの判定が下った。
一対一の同点を向かえた、なおも、ランナーは一塁だ。
四番打者、兄の小谷政弘が、バッターボックスに入った。一点入れば、混合チームの勝
利だ。
虎之助は、勝負に出るだろう。稲妻落としのフォークボールを決め球に投げる。女将は、キャプテン高橋に替えずに、虎之助の誇りを守るため、続投させることにした。
「虎、勝負よ」女将は、マウンドの虎之助に声を掛けた。
「まかせときな」虎之助は笑って答えた。
小谷政弘は、虎之助の笑顔がしゃくに障り、敗戦ピッチャーにしてやる、と意気込んだ。
虎之助の初球は、内角高めのストレートで、ストライクを取った。
二球目は、山おろしで打たせて取ろうとしたが、小谷は手を出さなかった。
張り詰めるような緊迫感が流れた。
三球目が投げられた。
ど真ん中のストレートだ。
小谷は、バットの芯に標準を合わせて振り切った。
バットは空を切り、ストライクが告げられた。
虎之助はウォーと吠えた。稲妻落としのフォークボールが決ったのだ。
小谷は、次もフォークだなと、見送ることにした。
虎之助は、キャッチャー太のサインにうなずいた。
ストレートが決まった。ストライクバッターアウト、ゲームセットと、主審が告げた。
見逃しの三振、虎之助の速いストレートが決まったのだ。
小谷は、無念の表情を浮かべて、バッターボックスを後にした。
勝負は引き分け、再試合が行われることとなった。
再試合は、三回戦で行われ、引き分けの場合は、二回戦延長が行われることが放送され、観客はオオーッと沸いた。
優勝候補の幸町チームと混合チームの試合は、十五分後に行われることが告げられ、桜町の応援団はベンチを開け渡した。
三浦監督は部員を集めて、最終調整の指示をしていた。
優勝候補と呼び名の高い、幸町チームの六年生は、キャッチャー大西、ファースト中西、レフト小西のウエストトリオの三番から五番の強力打線と、抜群のコントロールをもつ、ピッチャー石田の投法が、絶対の強さを誇っていた。
他にも、五年生のセンター大谷、六年生のライト島、五年生のサード後藤、この三人は俊足を武器にしている。ショートとセカンドの上杉兄弟は、鉄壁の三遊間コンビだ。
それと、五年生のリリーフピッチャー浅野は、以前いた、朝倉と同じで、公式試合で一度も投げたことがないが、将来期待されているピッチャーだ。
「幸町チームは手強いぞ、勝てる自信はあるか」三浦監督は選手の顔を見回した。
「桜町より強いとは思いません、次の試合では幸町チームに必ず勝ちます。決勝は、桜町チームです」高倉は、きっぱりと言い切った。
「監督、幸町チームは、バント戦法で攻めましょう」山畑が笑った。
「思い切り、走らせて下さい」伊藤良太が、自分の右足を叩いて見せた。
「そうか、その自信だ。よし、バント戦法で攻めるぞ、絶対に気を抜くな」
三浦監督は、選手たちに檄を飛ばした。
大木監督、幸町チームには、絶対に勝って下さい。この子たちのためにも、負けないで下さい。あなたのチームと再試合をすることを、こんなに望んでいるのですから。
三浦監督は、右手を握り左胸に腕を当てた。
プレイボールのコールで、決勝戦が始まった。
幸町チームの下谷監督は、混合チームには負けるまいと、多寡をくくっていた。
体育館では、桜町チームと町内会の応援団が休憩を取っていた。
虎之助は、肩が冷えないようにと、健ちゃんが持ってきた丹前を着せられていた。
「うお、このくそ暑い日に、丹前を着せられると思わなかったわ」
虎之助は、流れる汗を拭きながら、寝転がっていた。
「試合が始まったようです」
高橋が、体育館の入り口から、遠くに見える選手たちを見ている。
「混合チームとは、もう一度、試合をしてみたいな」
三振で苦い思いをした、隼人がつぶやいた。
「今度は勝てる自信があるからな」と丸井。
「どうして」大河が丸井に聞き返した。
「わからないのか、大河、俺とキャプテンがバッテリーを組むからだよ」
丸井が得意顔で言った。
「なんだ、そんなことか」大河は口をとがらせた。
「そんなことと言うなよ、しっかりと投げさせてもらうからね、監督、いいでしょう」
高橋は、監督を見てから頭を下げた。
「ええ、いいわ、幸町チームとの試合は、全力を出すのよ。今から各ポジションを教えるわ」女将は、選手の名を呼びながら、打順とポジションを伝えた。
一番センター隼人、二番ショート篠原大河、三番キャッチャー丸井、四番ピッチャー高橋、五番レフト橋詰、六番セカンド篠原大地、七番サード白鳥、八番ライト角之進、九番ファースト朝倉と告げられた。
朝倉がリリーフで出る場合は、ファーストは高橋が守ることとなり、サード白鳥の調子を見ながら、一と交替することも告げた。
虎之助と太、一はベンチで応援することとなった。
「角之進、幸町チームと混合チームは、どう見ますか」一は角之進に聞いた。
「初めて対戦したとき、幸町チームは、成功法で攻めると見た。混合チームは、意外な攻め方をするが、監督に計算されたチームのようだ」角之進は、一を一瞥した。
「監督、僕も感じたことを話していいですか」
「いいわよ、一の思ったことを言ってみて」と女将。
「この間、監督から教えていただいた話しになりますが、幸町チームの下谷監督は、一軍と二軍を使い分けながら、競い合わせて試合に出しています。選手には、かなりの責任と負担を負わせていると思います」
「一、何が言いたいのだ」寝転がっていた、虎之助が上半身を起こした。
「つまり、エラーひとつも許されないのです。卑怯なやり方かも知れませんが、サードならサードへ、狙い撃ちをして、疲れさせて圧力を掛けるのです」
「やり過ぎじゃないの、自然にプレイしようよ」と大河は笑いながら言った。
「選手の交替をさせる、交替した選手は緊張しているので、同じように攻撃を仕掛け、エラーを誘い、塁へ進むということかしら」と、女将は、一を見て微笑んだ。
「そうです、これも作戦です」一は自信をもって言った。
「一君、勝負の世界は厳しいかもしれないけれど、楽しくやろうよ」
キャプテン高橋が、そう言いながら、一に微笑みかけた。
「そうね、私が間違っていたわ、野球は楽しくやらないとね。混合チームも私たちのチームと同じように、生き生きと試合をしてくれた。桜町チームのハッスル野球を見せてやりましょう」
女将は、勝つことに焦り、子供たちの純真な心を傷つけるところだった。この試合の目的は、高橋君に小学校最後の思い出をつくってやることだ。勝敗にこだわる必要はないのだ。ただ、決勝まできた以上、優勝したいと思った。最高のプレゼントをあげたいと願ったのだ。
「監督、まずはピッチャー石田の球種や投球リズムを読み取ることだ。そこから攻撃を仕掛けよう」角之進の采配が振るわれた。
「己、石田と聞くと、怒りが込み上げてくるわ」虎之助は立ち上がった。
「幸町チームの連中の名前は聞いていたが、皆、関ヶ原の西軍の連中だ。さあ、燃えてきたぞ、監督、角之進、思い切った采配を振ってくれ。俺と太は、いつでも出られるようにしておくぞ。それと、朝倉君、最終回は、思い切り投げてくれないか。今までの思いを吹き飛ばすように、奴らに見るものを見せてくれ」虎之助は、オオーッと吠えた。
「虎之助君、燃えているね。だったら僕らも熱くなろう、監督、円陣を組ませて下さい」
「いいわ、やりましょう」
「けっぱれ、桜町、がまだせ、桜町、全員野球で頑張るぞ」
力強い、円陣コールが体育館に響き渡った。
女将は、「人事を尽くして天命を待つ、いいね、頑張るのだ」と、優しい声を聞いた。
「忠広様、私は、大事なものを見失うところでした。子供たちの意志を尊重し、全員野球で努力をします」女将は振り返り、声が聞こえた方向に向って頭を下げた。
幸町チームと混合チームの試合は、混合チームのリードで進められていた。
女将の姿を見て、健ちゃんこと、健太郎が慌てて駆け寄った。
「女将さん、混合チームが三点のリードで、四回を向かえました。幸町チームの楽勝かと思っていたところ、なんと、バント戦法で相手のエラーを誘い、毎回、点を入れています。混合チームの実力は侮れませんよ。桜町は大丈夫ですか」
健太郎は、桜町チームの球児を一瞥した後、女将に不安げな目を向けた。
「健ちゃん、桜町チームは、ハッスルプレーで乗り切るわ」
女将の明るい笑顔と声で、健太郎は一瞬、呆気にとられた。
女将さんは、明るく振る舞っているが、試合を投げ出しているのではという疑いを、健太郎は抱いた。
「健ちゃん、混合チームの実力と桜町チームの実力は同じよ、決して引けはとらない」
女将の声に力が込められた。
「健太郎さん、俺たちは負けない、信じてくれ」
虎之助は、健太郎に詰め寄った。選手たちも健太郎の側に集まった。
「わかった、女将さん、みんな、しっかり応援させてもらうよ」
そう言うと健太郎は、桜町の応援団のところへ、駆けていった。
健ちゃん、私は、子供たちに楽しい思い出づくりをしてやることにしたの、伸び伸びと試合ができるように、自主的に試合ができるように、任せることにしたの。忠広様、これでいいのですね。
女将は、五点差で幸町チームの負けが決まったことを聞いた。
「監督、試合が始まります」一が手を振りながら叫んだ。
女将は手を振り替えした。
幸町チームは、混合チームの実力に圧倒され、敗北が覚めやらぬうちに、桜町チームとの対戦に入った。
プレイボールが告げられた。
幸町チームからの攻撃だ、下谷監督、うちのチームは研究済みだと、豪語していたようですね。腕の振りを少しだけ変えた、高橋投手のボールを打つことができますか。女将は、少しだけ笑みを浮かべた。
キャプテン高橋は、一番打者と二番打者を得意のカーブで三振に討ち取った。三番打者は、ファールフライに打ち取り、エースとしての貫禄を見せつけた。
「まずは、お手本どおりの攻撃でいきましょう」女将に言われ、隼人はうなずいた。
石田か、このチームは、関ヶ原での西軍の連中が多い、ならば、短期決戦で勝負をつけるか。隼人は、内角寄りのストレートを打ち、レフト前に転がした。
篠原大河が、送りバントで、隼人をセカンドに送った。
丸井は、石田の直球をセンター前に弾き出し、隼人はホームインした。
高橋は、ボール球を打たされ、ダブルプレイをとられ、チェンジとなった。
一点先取で、二回の表を向かえた。
高橋は、直球とカーブを織り交ぜながら、緩急を駆使したピッチングで、一塁ベースを踏ませなかった。
石田のピッチングも調子が戻り、甘いボール球を打たせて取る、得意のピッチングが回復した。
緊迫した投手戦が始まり、決定打が出ないまま、四回を向かえた。
白鳥は、サードを守り抜き、一と交替をした。
幸町チームは一番からの攻撃だ。
俊足の後藤が、バッターボックスに入った。
落差の大きいカーブは打てない、狙うボールは直球しかない。後藤は、初球打ちで勝負を掛けることにした。
速い直球が来た、後藤は思いきり振り切った。
確かな手ごたえを感じた。
センター前ヒットだ。
初ヒットに、幸町の応援ベンチは盛り上がった。
二番バッターの島は、送りバントを決め、後藤を二塁に送った。
三番バッターの小西からは、クリーンナップが続くのだ。
高橋投手のカーブはなかなか打てないが、直球ならば外野に飛ばすことができる。腕を上げたな高橋、いや、大木監督、あなたもたいした人だ。即席チームをここまで育てるとは、想像もできませんでした。しかし、幸町チームは、これから攻撃に入ります。先ほどは、混合チームの勢いに呑まれ敗退しましたが、再試合をしたなら、次は必ず勝ちます。完全野球チームと呼ばれている、我がチームの攻撃を間近で感じて下さい。
下谷監督は、攻略どおり攻めることと、直球勝負で攻撃しろと指示を出した。
キャッチャー丸井は、直球の初球打ちを警戒して、横のカーブのサインを出した。
高橋は横のカーブを投げた。
小西はニヤリと唇を歪めた。
カキーンと音を響かせ、レフト前にヒットを放った。
ワンアウト、ランナー三塁と一塁、一打逆転のチャンスを向かえた。
横のカーブは研究されていたか、丸井は悔やんだ。
幸町チームの四番バッター、大西がバッターボックスに入った。
「キャプテン、打たせろ、バックを信じろ」角之進が叫んだ。
「センター、レフト、頼んだぞ」丸井が声を掛けた。
高橋は、監督を一瞥したが、セットポジションに入った。
一球目が投げられた、外角高めの直球だ。大西は、渾身の力でバットを振ったが、空振りをした。
二球目、三球目の縦のカーブは、わずかにストライクから外れた。
大西は三球目を見逃さなかった。
打球は、きれいな放物線を描きながら、レフトの頭上を越えたが、隼人がレフト後方に廻り込み、ワンバウンドで捕球し、バックホームへ返球をした。
後藤はホームに生還、幸町チームのベンチは歓声を上げた。
「ファースト、キャプテン、ホームのカバーに入ってくれ」角之進が大声で叫んだ。
ファースト朝倉とキャプテン高橋が、キャッチャー丸井のガードに入った。
小西は、必死に走りながらホームに滑り込んだ。
丸井は、隼人からの返球を受け取り、ホームベースを守った。
アウト、主審からのコールが告げられた。隼人の矢のような返球が功を奏したのだ。
両ベンチからは、歓声とため息がもれた。
大西は二塁で止められた。
不動の五番打者と言わしめている、中西がバッターボックスに入った。前の打席は、三振を取られたが、次の打席は、必ず打ち返す執念のバッターだ。
朝倉は、幸町チームの二軍時代に、スリーウエストのバッティングピッチャーをしていたことがあった。中西は、変化球を打つことが最も得意なバッターだった。おそらく、今も変わらないだろう。ここ一発、打たれてしまったら、最終回で挽回はできない。不安に駆られた朝倉は、主審にタイムを要求した。
大木監督は、朝倉に駆け寄り、タイムを掛けた理由を聞いた。
「監督、バッターボックスにいる中西は、変化球を打つことが得意なバッターです。ストレート、内角低めで投げるよう、キャプテンに伝えて下さい」
朝倉の顔色は青ざめていた。
「朝倉君、君が投げることはできる」監督の問いに、朝倉は一瞬、躊躇した。
「君が投げて、三振に仕留めてくれない」
女将は、朝倉が以前、幸町チームで嫌なことをされていたのを察したのだ。
「高橋君、来て、朝倉君に投げさせていい」
高橋はうなずいた。
「朝倉君、ここで、投げ抜いて男になりなさい」朝倉は下を向いた。
「朝倉、投げろ、この試合は、俺たちにとっては天下分け目の戦だ。シュートだけじゃない、稲妻落としじゃない、稲妻斬りを見せてやれ」虎之助は、朝倉の魂を奮い立たせた。
「監督、僕に投げさせて下さい」朝倉の顔に自信が戻った。
女将は、朝倉の肩を叩き、ピッチャー交替を告げた。
高橋は、朝倉にボールを渡しファーストに入った。
朝倉はマウンドに立ち、肩慣らしに三球ほど投げた。
主審から、プレイボールと告げられ、試合が再開された。
「朝倉、シュートしか投げられないお前が、リリーフピッチャーか、ホームランを打たせてもらうぜ」中西は、バッターボックスに入るなり、朝倉を見てセセラ笑った。
「三振してもらうぜ」朝倉はセットポジションに入った。
何、この野郎と、中西はつぶやいた。
初球は、内角低めのストレートだ。
中西は見送り、ストライクが告げられた。
二球目は低めのシュートだ。中西の打球はファールボールとなった。
丸井は、高めのボール球を二球投げるよう要求をした。
朝倉は、二球続けてボール球を投げ、中西を油断させた。
「次は、稲妻斬りだ」虎之助が叫んだ。
稲妻斬りだと、ふざけるな、中西は怒った。
来た、ボールは、ストライクゾーンに入っている。中西は、渾身の力でバットを振った。だが、バットは空を切り、中西は尻餅をついた。
ストライクバッターアウト、チェンジと、主審のコールが告げられた。
「朝倉君が、男になったぞ」虎之助と太は、応援席で叫んだ。
「桜町チームの選手は、男の中の男だ」健太郎が拍手を贈った。
大木監督、朝倉にスライダーを教えましたね。中西を三振に打ち取るとは、予想もしていませんでした。稲妻斬りとは、スライダーでしたか。私は、朝倉には何も指導をしていなかったのに、流石に血は争えないものです。朝倉義之、君に完敗だ。君の息子は、間違いなく見事に成長をしている。
大木さん、朝倉を宜しくお願いします。将来が楽しみですね。
下谷は初めて、朝倉の父に負けを認め、今までの非礼を心から詫びた。
「監督、トップバッターだから、思い切り打っていい」
篠原大河は、バットを担ぐなり、愛想笑いを浮かべた。
「いいわよ、塁に出るよう頑張ってね」女将は大河を送り出した。
「サンキュー」大河はウキウキしながら、バッターボックスに入った。
「大河、お前も男になれ、天下分け目の関ヶ原だ」虎之助は、ベンチから叫んだ。
大河は初球から打った。サード前でバウンドしたボールは、サードのラインを超えて転がった。大河は一塁に進み、ヤッホーと喜びを表した。
丸井と高橋が、連続ヒットを放ち、二点を入れた。
五回の最終回、幸町チームの攻撃だ。
朝倉はマウンドに立った。お父さん、僕のピッチングを天国の空から見ていて下さい。僕は、大木監督のお陰で、自信を持って投げられるようになりました。虎之助君が言ってくれたように、僕は男になりました。
朝倉は、上杉兄弟を三振に討ち取り。恐怖の八番バッターの異名を取る、大谷を向かえた。天才的な打撃センスを持つ太谷は、常にチャンスが来る度に、監督の期待に応えていることもあり、自信を持って、バッターボックスに入った。
朝倉は、一週間前の自分を思い描いていた。二軍の中で下級生たちに馬鹿にされながら、バッティングピッチャーしながら、一軍に這い上がろうと努力をしてきた事や白鳥君との勝負の事を思い描いた。
今の朝倉投手には勢いがあった。
「あと一人、キャプテン見て下さい、僕が来年、エースになれるか、しっかりと見て下さい」朝倉は初球を投げた。シュートだ、見事、ストライクに入った。
桜町の応援ベンチは、朝倉が投げる度に拍手を贈った。優勝決定戦のような盛り上がりを見せた。ツーストライクまで、大谷を追い込んだ。
「稲妻斬りだ」虎之助が叫んだ。
朝倉はうなずいた。ベンチで母が祈り、空から父が見守る中、朝倉は決め球のスライダーを投げた。
大谷は空振り、勝敗が決まった。
「天下分け目の関ヶ原は、我らが勝利だ」
虎之助は、応援ベンチに向かって、大声で叫びながら喜びを表した。
桜町の応援ベンチからは、割れんばかりの歓声と拍手が起こった。
再試合を前に、混合チームと桜町チームの応援団は、ベンチを陣取った。
興奮冷めやらない中、再試合の決勝戦が始まろうとしたとき、池原校長から待ったが掛かった。
応援団たちは、池原校長の行動を不安げに見ていた。
池原校長が、大会事務局に申し入れをした。
安藤町長、中野主審、三浦監督、大木監督が呼ばれた。
池原校長から、再試合は行うべきか、行わないのなら両者の優勝としてはどうか、との相談があった。心配事は、大会の閉会式は午後四時三十分、優勝決定戦は、混合チームと桜町チームの三回戦だ。再試合を行えば、閉会時間が大幅に上回ること、小学生の選手たちの健康状態も気になり、試合中の怪我も懸念されるところだ。
安藤町長は、池原校長の提案に賛成をしたが、中野主審から反対意見が出た。子供たちに最後まで試合をさせてほしい。ここで打ち切ったなら、一年間、野球に打ち込んできた努力が失われてしまう。この子たちに、試合をとおして最後まで責任を持って戦うことを覚えてもらいたいと、中野主審は力説した。
三浦監督と大木監督も、顔を見合わせ、試合続行を主張した。
わかりましたと、池原校長は、放送席のマイクを取った。
「皆さん、閉会式の時間が迫っていることと、子供たちの体力を考えた上で、優勝決定戦の再試合を行わないことを提案しましたが、三浦監督と大木監督、中野主審から、試合続行の強い希望があり、予定どおりに再試合を行うことにしました」
両応援ベンチからは拍手が湧き起こった。
中野主審は、五分後に試合を行うことを池原校長に伝えた。
池原校長は、時計を一瞥したあと、うなずきながら了承をした。
「安藤町長、思い出しますな。私たちも再試合をしながら健闘を讃えた」
「池原校長の一発には泣かされましたよ、まさか、私のフォークボールをホームランにするとは」安藤町長は、懐かしむようにしみじみと語った。
本部席には、昔年のライバルの笑顔が輝いていた。
中野主審から、プレイボールが発せられ、試合が始まった。
桜町チームからの先攻だ。
混合チームの先発ピッチャーは高倉だ。
三回戦の短期決戦を強いられている試合ならば、打って走るしかないわ。隼人は、己の心に気合いを入れた。
隼人は、ボールを選びながら、外野へ飛ばすことに集中した。この打席で打たなければ、次の打席は回って来ないだろう。
「隼人、功をたてるよりも、忠をつくせ。今しなくてはならないのは、塁に出ることだ」
虎之助は、凛とした声で隼人に伝えた。
殿、わかりましたでござる。
隼人はスクイズに構えた。猛打賞の隼人の予期せぬ動きに、混合チームは戸惑ったが、前進守備に入るのが遅かった。スクイズ成功、隼人は脱兎の如く駆け抜け、バントヒットを決め、ファーストベースを踏んだ。
「なるほど、そういうことか、確かあの言葉は、加藤清正の言葉だった気がする」
池原校長はつぶやいた。
「武将らしい、一言ですな」安藤町長が笑みを浮かべた。
篠原大河は、隼人をしっかり二塁に送り、太につないだ。
「虎、俺は功をたてるぞ」太は、にやりと笑いながら、バッターボックスに入った。
高倉は、太の長打力を知っていた。内角低めを投げれば、得意のアッパースイングで、ホームランにされてしまう。思案している高倉の様子を見て、三浦監督は、タイムを要求した。
「高倉、敬遠して、次のバッターで勝負をかけろ。次のバッターの虎之助は、速い球は得意のようだが、変化球には弱いようだ。敬遠も作戦のうちだ」
三浦監督は、高倉に敬遠の指示を出し、太を歩かせる作戦をとった。
虎之助が変化球を打ち、内野ゴロになれば、ダブルプレイでアウトを取れる。太は足が遅いだけ好都合だと、三浦監督は敬遠策をたてたのだ。
太は、敬遠のフォアボールで、一塁に向かった。
「俺を仕留めて、ダブルプレイでチェンジにするつもりか、そうわさせん」
虎之助は、顔面を紅潮させながら、烈火の如く怒った。
女将は、虎之助の腕を取り、一言ささやいたが、虎之助は力んでバッターボックスに向かった。
「高倉、勝負だ」虎之助は高倉にバットを向けた。
「相手になろう」高倉は、セットポジションに入った。
少年野球だが、見る者を引きつけるには、十分に緊迫感が伝わってくる試合だ。