カラスと京都
松原 始(旅するミシン店 2016年)
旧帝国大学と呼ばれる戦前より(一部例外はあるが)創設された総合大学は現在もなお日本の研究機関として非常にポピュラーな存在であり、様々な意味で多くの人の注意を惹きつけてやまない。特に京都大学はその局地ではないだろうか。側から見れば天才、しかし少し見方を変えてみれば変態と言わざるを得ない個性豊かな学生や教員が集まる大学であることを自他ともに認めている。彼らの存在がもたらす衝撃、インスピレーションは実に強烈で、京都大学で青春時代を過ごした小説家・森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』のような京大をモデルにした作品は数多く、作品・大学ともども多くの人に愛され続けている。
『カラスと京都』で描かれる京大生はむしろ研究者の卵が研究に歩みを進めていく様子に重点を置いたエッセイである。著者であり、この回想録の主人公でもある松原始氏は現在は東京大学総合博物館に着任し、職員として働いている。彼の専門はカラスの生態学や行動学だ。本書は松原の研究の原点ともいえる京都での生活を記憶の混濁も含めて日記を読み返すように描かれている。この作品を形成する核となったのは彼のフィールドノートだ。カラス観察の記録のためにつけていたノートにはフィールドの記録はもちろんのこと、生活の断片が残されており(飲み会の予定や洗濯機の使い方までメモされていたということだ)松原の京都での生活を紐解く鍵となっている。生活の一部として現れる研究生活や日々のカラスの観察ノートから浮かび上がる研究者の第一歩としての姿を描いている。
また、この本は大学という人と土地によって形成された大きな「生き物」の姿を読むのにもうってつけだ。大学生は大学という施設だけでは形成されない。学生、教職員、キャンパス、学生街等を含めて大学の色と言えるだろう。今よりもバンカラ、それともカオスというべきか。思い出の補正があるにしろ、大学の様子は実にユーモアに富んでいる(ただし、あくまで自身のノートを頼りに手繰り寄せた記憶であり、全てが事実であるわけではないと筆者も断っている)。今や京大2次試験の名物となった折田先生像(※)がまだ健在だった頃の話、サークルや構内のイベント、そして学生街の様子などは見ているだけでも予想斜め上の驚きや思わず笑ってしまうような出来事の連続である。
その中で現役の一学生として思い起こすのは、街、人間、知性によって形成される大学という施設が何を大切にしなくてはならないのかということだ。古今を問わず研究施設としての大学は様々な問題を抱えてきた。今日も少しずつ改善されているものもあればその逆もしかりだ。大学がなぜ自由でなければならないのか、心から面白いと思うことをするとはいったいどういうことなのか。大学という大きな存在の中にそのヒントがあることは間違いない。
※折田先生像…京都大学の前身である旧制第三高等学校の初代校長だった折田彦一の功績を讃えて製作された銅像だったが、いつしか何者かによって落書きやペイントが施されるようになった。落書きの多くにはユーモアやテーマ性が付帯しており、97年にこの像が撤去されるまで続いた。しかしながら撤去によりいたずらの支持体がなくなったにも関わらず、2次試験の日になると像があった位置に「折田先生像」としてハリボテでキャラクターなどを模した様々なパロディの像が製作されるようになった。現在では京大の特色の一つとして毎年SNSなどを通じて学内外から注目を集めている。
書き手 上村麻里恵
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