ビット・プレイヤー
グレッグ・イーガン 著 山岸真 編・訳(早川書房 2019年)
「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない。」
科学技術の進歩著しいこの現代社会で折々耳にする言葉であるが、誰の言葉なのか知っている人は意外と少ないのではないだろうか。実はアーサー・C・クラークというSF界の巨匠が定義したクラークの三原則の一つである。彼は二十世紀を代表するSF作家として有名であり、今回紹介する作品の著者グレッグ・イーガンもまた思春期の頃彼の作品に親しんでいた。
現代よりさらに科学が発展した世界は我々の目にどのように映るのだろう。そういった想像に様々な科学分野の知識を加えて小説世界を組み上げたものがSF小説である。イーガンは現代SFの中でもハードSFと言われる、とりわけ専門的知識を用いた科学色の強い内容を記すことが多い。そんな彼の作品から珠玉の短編を選りすぐったのがこの本だ。
表題作「ビット・プレイヤー」では、主人公の女性が洞穴の中で目覚める所から物語が展開される。洞穴の外には青空が広がり、日光は上からではなく下から差し入る。重力の向きが変わったその世界はどのようになっているのか。
イーガンの小説の面白さは、なんといっても科学発展への期待と人間の倫理の葛藤だ。SFの分野ではどんな作品でも多かれ少なかれ描かれるものではあるが、彼の小説には殊に現実的理論に基づいた説得力とそれゆえに小説内では解決されない人間的正しさへの眼差しがある。小説なのだから葛藤は解消されてしかるべきだと論じる人もいるだろうが、科学と倫理が立ち所に融和するということは現状ないのだから、この葛藤をありのままに描くことこそがSF小説の真髄であると私は思う。
「ビット・プレイヤー」に近しい彼の作品に『順列都市』(上下巻・早川書房・1991年)というものがある。詳細についてここで語ることは読者の楽しみを減じてしまうので控えるが、どちらの作品でもイーガンは人間という物理的身体の限界を見つめながらもその制限を超え出るということに主眼を置いているように思われる。肉体という制限から解き放たれた時、我々人間の自己認識、「私がまぎれもなく“この”私自身である」という確信は何から得られるのだろうか。私が存在している“この”世界は果たして100%確実な現実世界なのだろうか。イーガンは科学に関する事柄だけではなく、技術のみでは語り得ない事物の存在という哲学的な問題提起を我々に投げかけてくる。
そして現実の科学をベースとしつつだからこそ我々読者の常識を覆すような、小説世界の中での言わば絶対のルールを敷いている。それは確かに想像しうる世界ではあるのだが、実際にその中で生きる人間がどのように行為するのかということを精緻に描き出す所がイーガンの小説家として卓越した部分であろう。彼が現代SFの中でも広く認められる理由が、この短編集には存分につまっている。
日本オリジナル短編集であるこの作品は、紹介した表題作を含めて六篇を収録している。遺伝病で視力に関する問題を抱えていた少年が、科学技術を駆使して一般的な人々より遥かに優れた色覚を得る「七色覚」や、名脚本家の記憶をもつアンドロイドが主人公の「不気味の谷」など、SFを読んだことのない読者でも楽しめる、短くてティピカルな内容になっている。ぜひイーガン独自の世界に飛び込んでみて欲しい。
書き手 小松貴海
こちらの書籍はBOOK.LABで販売中。ぜひお立ち寄りください。 (電話番号:011-374-1034 HP:BOOK LAB. powered by BASE)
道北の求人情報
名寄新聞を購読希望の方は
名寄新聞 購読料のご案内通信員募集のお知らせ道北ネット ビジネスデータ トップページに戻る