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2

今まで落ち着き払っていた馬場は、五人の少年が初めて野球をしたと聞き、焦りを覚えた。高橋と丸井のバッテリーを叩けば勝てると思っていたが、外野の守りが固くなれば、ホームランはともかく、フライでエラーを誘っていた戦法が効かなくなる。ホームランだと打線が続かなくなり、大量点が見込めなくなるのだ。錦町チームの中山投手は、まともに五回まで投げたことがない、リリーフピッチャーの砂田は、二回を投げるのがやっとだ。

一瞬、桜町チームに負けるのではと、不安を感じた。

「あら、顔色が悪いわよ、どんな試合でも、うちのチームは全力でぶっかりますからね」

そう一言いいながら女将は、一礼をして踵を返した。

「錦町少年野球部は、プライドを掛けて戦うからな」

馬場は、女将の背中に向かい叫んだ。

女将には、馬場の挑戦と言うよりも、負け犬の遠吠えのように聞こえた。

「勝てるわよ、みんな」女将は、確信するように空を見上げた。

子供たちは、明日の午後一で、牧場旅館に集合と約束をした。

「明日、必ず練習をしよう」丸井君が嬉しそうに言った。

「必ず、監督が言っていたように、出るからには優勝を目指そう」

角之進が、右手を差し出した。

「よし、みんな、右手を乗せて、エイエイオーの勝ちどきをあげるぞ」

虎之助が皆を促した。

エイエイオーの力強い、かけ声が上がった。

「じゃ、明日な」丸井君が、さよならと声を掛けて、手を振りながら家路へ向かった。

それぞれが手を振りながら、牧場旅館を後にした。

虎之助たちは、食事と風呂を済ませ、車座になり、野球について話しをしていた。

「野球は、簡単化と思っていたが、実際グローブとやらを付けて、試合をしてみると、聞いていたよりも、数倍難しいのう」虎之助は、少し首を傾けながらつぶやいた。

「隼人は、いい動きをしていたな」虎之助は、隼人を見て満足そうに笑った。

「お誉めにいただき、かたじけのう、ございます」隼人は頭を下げた。

「隼人は固いのう、ここに居るのは、天下の加藤清正ではなく、お友達の虎だ。殿の前ではない、虎と呼んだらいい」

太は、すっとんきょな声で、隼人に言い聞かせた。

「太、いくら子供になったと故、主君を愚弄したな」虎は畳を叩いた。

「虎、この世では、子供で振る舞おう、それぞれの名で呼び合い、子供になったつもりで頑張ろうと言ったのは、虎之助、あなた様でござるぞ」

虎之助は、すばやく立ち上がったが、太は組み付き、虎の腰に手を掛け投げの体制に入ったが、入り口に立っている女将を見て、二人は手を放し、落ち着き払ったような涼しい顔して、元の場所に座った。

「虎之助君、太君、ここにいる間は、良い子でいましょうね」

女将は、子供を叱るような眼で諭した。

「皆さん、本日の野球練習は、いかがでしたか」女将はそれぞれに感想を言わせた。

「明日からの練習は、打って良い玉のストライクと、打ってはいけないボール玉の見分け方をしましょう。バットにボールを当てる練習をしましょう、勝つためには、ストライクボールを狙いましょう。明日から、試合の前の日までの練習すべき事を紙に書いておきますから、自分が何かをすることにより、桜町野球部が、どうしたら勝つのかを考えてみましょう」女将は、虎之助たちの熱い眼差しを笑顔で返した。

この子たちは、どんな練習にもついて来ることができる。もしかすると、桜町少年野球部に、奇跡を起こしてくれるのかもしれないと感じた。

女将に閃光が走った。

「太君、虎之助の投げる玉を受けてくれない」太と虎は同時にうなずいた。

「ピッチャーの高橋君は、試合慣れしていないので、全試合投げるのは体力的にも無理なの、それで、第二ピッチャー虎之助君とキャッチャー太君とで、試合の間で投げてほしいの。それと、サードの白鳥君は、心臓に病気を抱えているの、全試合には出られないから、途中で休ませなくてはならないの、その時は、一君、君がサードを守るのよ」

僕がサードをと、一は顔を曇らせた。

「一なら大丈夫だ。隼人以上の足の速さがある。どんなボールでも捕れるさ」

隣にいる角野進が、一の肩を軽く叩きながら励ました。

「よし、それぞれの得意とするものがあるはずだ。太ならば、その腕力でボールを打ちホームランにする力を持っている。隼人なら足の速さとボールが落下する位置を見分ける感の鋭さがある。角之進は、練習で見てのとおり、ライトの位置から、各守備の選手に、前進、後退、右、左と誘導していた、最初は独り言かと思っていたが、打球が誘導された場所に飛んでくる、三回目を巡った時は、ほとんどが誘導した位置に飛んできている。この手は相手選手の癖を見抜いている証拠だ。一は、足を活かせ、わしらが走れない分だけ走ってくれ、それと、白鳥君のためにも、サードを守ってくれ」

虎之助は、それぞれの顔を見ながら、己の意気込みを伝えた。

「虎之助は、みんなのために、打つのよ、投げるのよ、大きな声で励ますのよ」

女将は、虎之助の意気込みを感じていた。皆をまとめられるのは、虎之助の力が必要だと悟った。

「さあ、今日は寝なさい、明日からユニフォームを着て練習よ、頑張りましょう」

オーッという、掛け声で子供たちは床に入った。

女将は、子供たちの使っている和室を出て、帳場へ向かった。

「女将さん」と、声を掛けられた。

声を掛けたのは、従業員の幸子だった。

「女将さん、嬉しそうですね」幸子は、帳場のドアを開けて女将を通した。

「幸ちゃん、あの子たちは、私が以前、お世話になった人たちのお孫さんなの、北海道には、夏休みの自由研究を探しに来たの、いい作品ができるといいわね」

女将は、幸子にも帳場に入るよう促した。

「自由研究というよりも、野球をしに来たようにしか見えないのですが」

幸子は、急須にお茶の葉を入れながら、女将を一瞥した。

「それでもいいじゃない、思いで作りができるのなら」

幸子は、湯飲みにお茶を注ぎ、女将のお茶を入れた。

「そうですよね、熊本から来た、五人の少年たち可愛いですよね。私、虎之助君が好みかな、今時の子っていう感じで、少し大人っぽいところもいいですよね」

幸子は笑いながら言った。

「そう、虎之助君が好みなの、ご飯を一杯、食べさせてあげてね。幸ちゃんにお願いがあるの」女将は、幸子を椅子に座るよう目配せした。

「幸ちゃん、私は、桜町少年野球部の監督に推薦されて、受けることにしたの。しばらくは、野球大会の練習で時間を割かれることになるはず、だから、幸ちゃんと健ちゃんで、旅館をお願いしたいの」

幸子は少しだけ笑った。

「どうしたの」女将は首をかしげた。

「だって、女将さん、真顔でお願いするから、入院でもするかと思った。まかせて下さい、健ちゃんは、ちょっと頼りないけれど、二人で頑張りますから、それと、応援にパパとママにも来てもらいますから、ご心配なく」

「来てもらって大丈夫なの」と女将。

「年金生活でブラブラしているし、家に二人で居るとラブラブだし、困ったものです」

幸子は声を出して笑った。

幸子の父は、三年前に上下町役場を管理職で退職した。母は、幸子が高校を卒業するまで、小学校の教師をしていた。幸子は、札幌桜女子大学の教育学部を卒業し、幼稚園教諭の資格を取り、故郷に帰って来たのだ。

幸子は、一人娘の割にはしっかり者だが、料理に関しては、何も作れない不器用な娘だった。娘を心配した父は、料理では評判の高い、牧場旅館の女将に、花嫁修業という名目で預けたのだ。

花嫁修業と言いながら、もう、二年目を迎えようとしている。

「それじゃあ、幸ちゃんにお願いしていいかしら」

幸子は、目を輝かせながら、「任せて下さい」と、胸を叩いた。

女将は、宜しくお願いしますと、頭を下げた。

次の日、虎之助たちは、真新しいユニフォームに袖を通した。

「これが、試合装束でござるな」角之進が感動している。

「これを着て、次々と勝ち進んで行くぞ」太は力を込めて叫んだ。

「みんなの背番号は、これでいいのですか」高橋君が女将に聞いた。

「そう、高橋君は、一番、エースでキャプテンよ」

女将は、高橋君の両肩に手を添いて、言い聞かせるように優しく言った。

「ユニフォームだけど、背番号十番が飛んでいるのでござるな」

太がそれぞれのユニフォームを確認した。

「十番の選手は、これから来くるのよ、楽しみにしていてね」

女将は、一人一人、ユニフォームの着崩れを直しながら、頑張れと声を掛けた。

「そうだ、高橋君は、俺たちのキャプテンだ。みんな、キャプテンについて行こうな」

虎之助が一声を上げた。

子供たちは、キャプテン高橋に、異論を唱える者はなく、キャプテン、宜しくお願いしますと、おのおの挨拶をした。

「さあ、練習に行きましょう」女将は部員たちをグランドへと促した。

「あれ、幸町の野球部が、グランドを使っている」

丸井が怒ったように叫んだ。

幸町野球部の監督が、帽子を脱いで、女将に挨拶をした。

「女将さん、いや、桜町少年野球部の大木監督さん、本日はお願いに上がりました。実は、うちのチームとの練習試合をお願いしたいのですが、お受けいただけますか」

幸町野球部の監督は、下谷秀樹という、町の青少年スポーツ振興会の委員をしているのだ。下谷も高校野球の経験者だ。

女将は、少しだけ考え、回答を遅らせた。

「桜町少年野球部は、昨日から、野球を始めましたので、そちらの一軍ではなく、二軍の選手との練習試合なら、お受けいたします」

女将は、毅然とした態度で、下谷の返事を待った。

「さすがは女将さんだ。いいでしょう、三回戦の五点コールドで、いかがでしょうか」

幸町少年野球部のある幸町は、町営団地が多く、小学生の数も多いところだった。下谷は、互いに競い合わすことを目的に、一軍と二軍を構成し、実力のある者を一軍として、登録し使っていた。

「いいでしょう、始める前に、十分ほど時間を下さい」

下谷は、受け入れるようにうなずいた。

馬場の情報は、どれだけのものか、先に見届けてやる。

下谷は、優勝候補と言われながら、昨年の公区大会の二回戦で、馬場率いる錦町チームに敗れたことを悔やんでいた。一点差で負けたのだ。今年こそは、何が何でも勝たなくてはならないのだ。

だからこそ、目の前にいる邪魔なチームは、大会前に叩き、戦意喪失させることを狙っているのだ。

女将は、虎之助と太で、バッテリーを組むよう指示をした。

太は虎之助の玉を受けた。キャッチャーミットに収まる玉は、鉛のように重いようだ。

「監督、俺の投げる玉はどうだ」虎之助は女将の言葉を待っていた。

「いいわよ、投げるとき、キャッチャーミットの的を合わせるのに、少しだけ時間がかかるようね、虎之助、弓矢で的を絞るのに何秒かかるの」

「十秒ほどだ」虎之助は得意げに言った。

「それなら、五秒でキャッチャーミットの的を絞りなさい、虎ならできるから」

女将は、虎のお尻を叩き、やる気を促した。

虎之助は、忠広をあやしていた、お婆を思い出した。よく忠広が、できないと泣くと、お尻を叩きながら、忠広様ならできますよと、励ましていた姿が目に浮かんだ。

お婆は、百姓の娘であったが、美しい品の良い娘で、ひらがなの読み書きができるということで、城に連れて来たのだ。周りの評判のとおり、ひらがなの読み書きはできる他、筆字を書かせても達筆だった。素性を聞いてみると、戦に敗れ落ち武者となった、武士の娘のようだ。お婆を助けるために、百姓頭に預けたようだ。

わしは、お婆を気にいり、忠広の教育係に加えたのだ。

「わかった、五秒で投げるからな」

虎之助は、ボールを握りながら、縫い目に指をあてがった。

「さあ、始めましょう、虎、思い切り投げて、太、しっかり受けるのよ」

女将は、二人に檄を飛ばし、ベンチに下がった。

女将には、この試合を受けるに当たって、もうひとつの目的があったのだ。

いつの間にか、小学校の中野先生が主審に入り、プレイボールのコールをした。

虎之助は、伸びのあるストレートを投げ、最初のバッターを三振に仕留めた。

二番バッターは、ファウルボールに仕留め、三番バッターを内野ゴロで仕留めた。

下谷監督は、この未知のバッテリーに恐れを感じた。

データ野球と称する下谷監督だけに、高橋君の投げる直球とカーブは研究済みだったが、虎之助たちのバッテリーは予想外であった。決して速いとは言えないが、虎之助の投げる玉は、球種としては重く、時々、胸元でホップしながら伸びる玉だった。

桜町の攻撃だ。

一番バッターは、センターの隼人だ。

隼人は監督の指示どおりに、ヒットを打ち塁に出た。

二番バッターは、セカンド篠原弟だ。きっちりとバントで、隼人を二塁に送った。

三番バッターは、ピッチャー虎之助、長身の虎は、二本のバットで素振りをしてから、バッターボックスに立ち、相手ピッチャーを威嚇した。虎は、監督を一瞥した、初球打ちの合図が出た。

ピッチャーは振りかぶって投げた、速い直球だ。

虎のバットは、ボールを捕らえた、センター前ヒットだ。

隼人がホームベースを踏み、一点を先取し、虎は二塁まで走った。

四番バッターは、キャッチャー太だ。

太は巨漢を揺らしながら、のっしのっしとバッターボックスに入った。歩きながら、監督の方を振り返ったら、ストライクコースに来たら振れの合図だった。

太はバッターボックスで、帽子を脱いで一礼をした。

「さあ、来い」太は気合いを入れた。

一球目、二球目と、高めのボール玉は見送った。

三球目の外角高めのストライクは見逃した。

太は、内角低めのストライクを待っていた。

ワンストライク、ツーボールのカウントだ。

次の四球目で勝負だ。

太は下段斬りの構えでボールを待った。

来た、ボールは低めだ、渾身のバットが振られた。

ボールは、放物線を描きながらセンターの頭上を越えて飛んでいった。

虎はホームベースを余裕で踏んだ。

レフトがゴロを捕球したさい、監督はなぜか、太を三塁で止めた。

五番バッターは、レフト橋詰だ。

橋詰は、ベンチから立ち上がるさい、監督を見てうなずいた。監督もうなずいた、思い切り暴れてこいとの合図だ。

橋詰は笑顔で、バッターボックスに入った。太と同じように、帽子を脱いで一礼をした。

五番バッターは、一発ホームランか、下位打線につなぐかの大事な仕事があると、昨日の練習で、監督に教えられた。

今は思い切っていけ、それなら、ホームラン狙いより、ヒットで下位打線につないだ方が、絶対に練習になると、橋詰は考えた。

クリーンナップに徹するより、仲間につなぐことをバットに念じた。

ボール玉は絶対に振らない、きわどいストライクはファウルとなった。

ツーストライク、スリーボールのカウントまできた。

決め球か、バットは動かなかった。冷静にフォアボールを選んだのだ。これも、仲間につなぐ方法だと、一塁へ向かった。

六番バッターは、ショート篠原兄だ。下位打線といえ、塁に出ることにより、試合の流れを変える重要な役と、監督に教えられた。

篠原兄は、監督を見てうなずいた、監督もうなずき返した。

思い切って振っていけの合図だ。

篠原兄は、弟同様、小技の効く選手だ。センターとセカンドの間にフライを落とす、ポテンヒットやバントが得意だ。何よりも、スイッチヒッターとしての切り札があるのだ。

相手方ベンチでは、下谷監督がピッチャーの朝倉に合図を送っていた。

変化球ですか、朝倉はうなずいた。

朝倉はシュートを投げるのだ。朝倉のシュートは、大きく曲がるのでなかなか打てないとの定評がある。だが、ストライクが入らないので、シュートでゴロを打たせて取るという戦法を取るのだ。

篠原兄は、監督にバントの合図を送った。

監督は、両手を上げてから、バットを振る動作で返した。

三塁コーチボックスにいる高橋は、ランナーの太に、待てと告げた。

一塁コーチボックスにいる丸井は、橋詰に走る合図を送った。

バントは了承された、篠原兄はバットを短く持ち構えた。

シュートが投げられた、ボールは回転しながら飛んでくる、体に当たりそうだが、タイミングを計りながら、バットに当てた、一塁側にボールは転がった。

橋詰は二塁に進んだが、篠原兄はアウトだ。

下谷監督は、二軍とはいえ、第二ピッチャーの朝倉が、ここまで打たれるとは、予想外の展開に苛立ちを覚えた。

ランナーは三塁と二塁、ホームランでも出れば、一回戦でのコールド負けになる。そんな、恥ずかしい負け方はしたくなかった。

七番バッターはサード白鳥だ。

まだ、一回戦のせいか、白鳥の顔色は良かった。

「白鳥君、シュートは打てる」女将は白鳥に聞いた。

「打てます」白鳥は自信に満ちた声で答えた。

「それなら、思い切っていきなさい」女将は白鳥を送り出した。

「白鳥、勝負だ」

バッターボックスに入った白鳥に向かって、朝倉が勝負を挑んだ。

朝倉と白鳥は五年生だ。六月のクラス対抗野球大会で、朝倉は、渾身を込めたシュートで勝負をしたが、白鳥に打たれ負けを喫した。浅からぬ因縁があるのだ。最も朝倉の勝手な思い込みだと、白鳥は相手にしていないのだが、この試合は別だと、白鳥は気持ちを切り替えた。

「いいだろう、僕は全力で受けてたつ」

普段大人しい白鳥君らしくない意気込みに、両ベンチは圧倒された。

「朝倉、勝手なことをするな、今日が最後だと思い、マウンドに立たせたことを忘れたか、監督の言うことを聞けないのなら、マウンドを下りろ」

下谷監督から厳しい叱責が飛んだ。

「タイム」と、主審が下谷監督のところへ駆けていった。

主審からの話しを聞いて、下谷監督がうなずいた後、今度は、女将の所へ駆けてきた。

「女将さん、この試合はすごい試合だと、私は思います。そこで提案があります、この試合の勝敗は、朝倉と白鳥の勝負で決着をつけるということでいかがでしょうか」

中野先生は、女将に頭を下げた。

中野は、大人のプライドを掛けた試合に、子供を犠牲にする訳にはいかないと判断したのだ。この試合を続ければ、絶対に桜町がコールドゲームで勝つことは十分予想される。

公区の各監督たちが、大会を利用して、女将を潰しにかかる。女将が少年野球の監督になったことが、男社会で築かれてきた、この上下町に一石を投じることになった。それだけに、正式な大会で、女将の価値を見いださなくてはならないし、認めてあげなくてはならないのだ。

「中野先生、その提案を受け入れます」

女将は、中野先生の意図を読むことができたのだ。

幸町少年野球部のベンチの後ろには、各公区の野球部の監督たちが集まっていたからだ。

「本当の実力は、大会で証明しましょう」中野先生は真顔で女将に告げた。

中野先生は主審の位置に戻り、試合のルールを説明した。

「各チームとも素晴らしい試合をしてくれている。練習試合とは思えないほどの熱の入った試合だ。どうだろう、この試合は大会に持ち越してもらいたい、だが、このまま終わらせることもできないでしょう。この試合、朝倉君と白鳥君の勝負で、勝敗を決めるということにしたい。両監督、宜しいですね」

中野先生は、それぞれの監督に黙礼をして促した。

「朝倉、お前にとっては、最後の試合だ、思い切り投げろ」下谷は朝倉に檄を飛ばした。

「白鳥君、勝敗の結果は考えずに、全力で頑張りなさい」女将は優しく声をかけた。

プレイボール、中野は試合再開の一声をあげた。

朝倉は外角高めの直球を投げた。

ストライクが入った。

左バッターの白鳥は、シュート狙いに精神を集中した。

二球目が投げられたシュートだ。

バットが振られたが、レフトへ飛んだ。

ファウルとコールされた。振り遅れかと、白鳥はバットのグリップに力を込めた。

白鳥は、ツーストライクに追い込まれた。

次もシュートだ、朝倉は、雨の日も風の日も、シュートを会得するのに投げ抜いてきた。朝倉のシュートには、野球への努力と情熱が込められているのだ。

白鳥は狙いを定めた。

三球目が投げられた、やはり、シュートだ。

バットが振られたが、内角低めのシュートだった。

当たりが詰まった、セカンドゴロだ。

白鳥は走ったが、アウトのコールを告げられた。

朝倉は、白鳥に頭を下げて、マウンドを下りた。

ゲームセット、一同整列、幸町野球部の勝ち、と主審に告げられ、一同は頭を下げて、グランドを後にした。

朝倉は、ひとりバックネットを見上げていた。

幸町少年野球部の仲間たちは、朝倉に声も掛けずに立ち去っていった。

「朝倉君」名前を呼ばれて、朝倉は振り返った。

「今日は、僕の負けだ。まさか、内角低めのシュートが来るとは思わなかったよ」

白鳥は素直に自分の負けを認めた。

「最初から、シュートという玉を投げられていたら、わしは打てなかった」

太は朝倉の実力を認めた。

「朝倉君、今日が最後って、下向監督が言っていたけど、野球をやめるのかい」

白鳥は朝倉に尋ねた。

「朝倉君は、幸町から引っ越すことになったの、町営住宅を出なくてはならなくなったの、おばあちゃんの住んでいる桜町に引っ越すことになったの、朝倉君は、公区野球大会に出ることを楽しみにしていた。本当は、出る日を一ヶ月伸ばしてもらったけれど、大会までには間に合わなかった」

朝倉は涙をこらえていた。

女将は話しを続けた。

「そこで、朝倉君のお母さんから相談があったの。引っ越すことを条件に、桜町の少年野球部に入れてほしいとのお願いがあった、でも、その時は、人数が足りなく大会に出られる状況ではなかった。虎之助や太が来る前だったから、約束はできなかったの。でもね、虎之助たちが来ることがわかって、一緒に朝倉君も登録しておいたのよ」

白鳥の顔が明るくなった。

「朝倉君、一緒に大会に出よう」白鳥は朝倉の手をとった。

朝倉は、一瞬、驚いた表情で女将を見た。

女将が、本当よと告げると、朝倉の瞳からは涙があふれた。

「良かった、本当に良かった、みんなで力を合わせて頑張ろうよ」

キャプテンの高橋が、白鳥と朝倉の手の上に、それぞれ手をのせるよう促した。

「さあ、今日から朝倉君は、桜町少年野球部の部員だ。しっかり頑張っていくぞ」

高橋のエールとともに、オーッと歓声があがった。

「朝倉君、君の背番号は十番、リリーフピッチャーとして投げなさい、明日も午後から練習をします。朝倉君のユニフォームは、おばあちゃんにあずけてあるからね、朝倉君のお父さんは、高校、大学と学生野球で活躍した人なの、朝倉君もお父さんに負けないように頑張ってね」女将は朝倉の頭をなぜた。

「桜町少年野球部のみんな、監督、ありがとうございます。僕のお父さんは、二年前交通事故で亡くなりました。お父さんが死ぬ前に、僕に教えてくれたのが、シュートでした。内角低めのシュートは、左バッターには強いと教えられました。まだ、試合で投げたことはありませんが、スライダーも投げられます、必要なときにはリリーフで使って下さい」

朝倉は帽子を脱いで頭を下げた。

「朝倉君、頼むぞ」丸井が期待を込めて肩を軽く叩いた。

子供たちは、明日も頑張ろうと、声を掛け合いながらグランドを後にした。

女将は、この朝倉のピッチングを見たかったのだ。

それにしても、朝倉ほどの選手を下谷が育てようとしなかったのは、因縁浅からぬものを感じていた。朝倉の父と下向は、高校時代からのライバルで、各界でも注目を集めていた。下向は実業団へ、朝倉は大学へと、野球の道を歩き出したが、下向は、思ったより実力が出し切れずに、故郷の上下町に帰って来て、家業の家具屋を継いだ。朝倉は、大学でも野手として活躍し、教師になり、四年前に中学の体育教師として、故郷である上下町に帰って来たのだ。

下谷は、朝倉の実力と息子の実力に嫉妬していたと思う、朝倉君の投手としての実力は認めているのに、第三ピッチャーとして使っていた。朝倉君は、ただ一心に、好きな野球をしていたかった。その心情を思うと、大会で力一杯、投げさせてやりたかったのだ。

朝倉さん、貴方の息子さんは必ず、野球大会で頑張りますからね、応援して下さい。

女将は、心の中で、朝倉の父に呼び掛けた。

大会二日前、各チームは、優勝に向けて練習にも気合いが入っていた。

優勝候補と呼ばれているのは三チームだ。

この優勝候補チームは、各ブロックに分かれているので、順調に勝ち進めば、この三強で優勝を争うことになるのだ。

女将は、練習を見ながら、各チームの特徴をノートにまとめていた。

前回優勝している馬場監督率いる錦町チーム、長打力で攻めてくる攻撃型チームだ。

練習試合を仕掛けてきた下谷監督率いる幸町チームは、どのチームよりも、投手と野手が最も安定している完全型チームだ。

この二つのチームの特徴は押さえているが、勝てるとの勝算は、まだなかった。横山監督率いる朝日町チームは、谷藤投手を中心とした鉄壁の守りのチームとの情報は得ているだけだ。

この三強に挑む、台風の目と言われているのが、小学校の統廃合により、今回、初めて認められた混合チームのパンケ・中成・開成チームだ。このチームの情報は、伊藤兄弟と小谷兄弟は、とにかく足が速く、バントと盗塁の小技で攻めるチームとの噂が流れているが、試合を見たこともなく、力量はすべて未知数だった。

桜町チームは、一回戦を勝つことができれば、錦町チームとの対戦は避けられない、高橋君をなるべく疲れさせないため、一回戦は、虎之助と太のバッテリー、最終回は朝倉君に、マウンドに上がってもらう。二回戦は、高橋君に投げてもらい、最終回は、朝倉君に任せることにしよう。隼人には、センターの深い位置から浅い位置まで、守備範囲として完璧に守ってもらう。もちろん、角野進にはライトを、橋詰君にはレフトを完璧に守ってもらうことだが。

錦町チームの中山投手は、五回まで投げられないことが、せめてもの救いだ。ボール玉には、手を出さずにストライクの玉だけに絞り、打って塁に出ることにさせよう。投球回数が長くなれば、必ず中山投手は崩れる、その時こそが攻撃を仕掛ける千載一遇の機会なのだ。

各町内会の野球部の関係者が、桜町少年野球部の噂を聞きつけ、見学に来ている。

「女将さん、良くここまで部員を集めましたね、しかも、九州から呼び寄せるなんて、至難の業だ。九州から来た子供たちとは、何か縁があるのですか」

錦町の町内副会長の田端がたずねた。

「母の知り合いのお孫さんたちです、北海道に夏休みの自由研究を調べに来たのですが、野球に夢中です。親御さんには連絡を入れたのですが、好きなように遊ばせて下さいとの連絡が入りました。いい思い出を作ってくれればいいのですが」

女将は静かに微笑んだ。

「女将さん、私たちも子供のころは、休みの日になると、朝から夕方まで、野球をしたものです。最近は、金属バットが増えて、打球の音が変わってしまった。金属よりも木製のバットがいいですね。それと、野球はみんなで楽しくやるものだ。勝つことだけが試合ではないのです、監督の馬場君は、勝つことに生き甲斐を見いだしているようだ。子供にとっては、全てが勝つことではなく、勝つことも負けることも、この経験を活かして、次につないでいき、良い結果を出すことが大事なのです。だが、馬場君は、勝つことだけに執着しているようです。試合に負けたときは、子供たちのせいに、決してしないでほしいのだが」副会長の田端が肩を落とした。

「田端さん、桜町少年野球部は全力で戦います。一人一人の力を出し切りながら、チームプレイで戦います。桜町少年野球部は、五日前に生まれました。しかも、九州から来た子供たちの力を借りてできたチームですが、九州の子供たちは、野球をしたことがありません。五年生の白鳥君は、心臓に病気を抱えていますので、全試合はもちろん、一試合は三回までしか出られません。少ない選手で各ポジションを守らなくてはならないのです。そんな状態ですから、一人一人の力を信じることを教えています。エラーをしても、フライが捕れなくても、互いを励まし合う気持ちをもって、試合に臨みます」

田端は女将の言葉にうなずき、ベンチの側に置いてあったバットを手にした。

「女将さん、お願いがあります。私が中学生のとき、スクイズを外され、三塁ランナーをホームベースに踏ませることができませんでした。ホームスチールの失敗でした。今でも悔やんでいます、桜町チームの選手たちの力で、私の果たせなかったホームスチールを見せていただきたいのです。バント又はスクイズは、当てた後の引くタイミングが大事です。正面のピッチャーに転がしては、ファーストでアウトとなり、成功しませんので気をつけて下さい。釈迦に説法ですな」

田端は、昔を懐かしがるように満面な笑みを浮かべた。

「田端さん、桜町少年野球部のホームスチールは、実現させて見ます、楽しみにしておいて下さい。子供たちの笑顔を見ていると心がやすらぎますね」

女将は田端に微笑みかけた。

田端は、バントの構えから、引くタイミングを見せた。

二度、三度繰り返した。

田端は、中学生のころに返った様に、女将にスクイズを見せた。

田端は、バッターボックスに立ち、スクイズのサインとホームスチールのサインを確認し、ヘルメットの頭部部分を親指で指した。サインは了解したとの合図だ。

一球目はストライクだ、二球、三球とボール球だ、ランナーの両手が組まれた。

次が勝負球だ。

田端はスクイズに構えた、バントで三塁ランナーをホームに生還させるためだ。ボールは高めだ。バントができない、飛び出したランナーを三塁とホームで、挟んでしまう結果となりアウトになった。

完全にスクイズを外させられたのだ。

チャンスを生かせず、試合は負けを喫した。

田端は、この無念さを女将のチームに託したのだ。もしかすると、この女将なら、グランドで奇跡を見せてくれるのではないかと、期待を寄せたのだ。

「女将さん、奇跡を見せて下さい、宜しくお願いします。それと、錦町には、私の教え子がいます、どれだけ、実力が発揮できるのかはわかりませんが、対等に勝負してやって下さい」と告げて、田端はグランドを後にした。

田端さん、桜町少年野球部は、奇跡を起こしますからね、女将は田端の背中に向かい、ホームスチールを誓った。

昭和五十三年八月十一日、花火が打ち上げられ、上下町公区対抗少年野球大会が始まった。十二公区対抗の少年野球が、小学校の第一グランドで開会式が始まった。開会の言葉は安藤町長から発せられた。

フェアプレイの精神で試合をしながらも、楽しくもあり、思い出に残る試合をしてほしいとの挨拶があった。少年たちは、日頃の成果を出せるよう、希望あふれる眼差しを向けていた。開会式後は、三ヶ所のグランドに分かれて、試合が始まるのだ。

「虎、さっきから何にやにやしているんだ」太が探るような眼を虎之助に向けた。

「何を言うか、女将は美しいと思うていたところじゃ、そちこそ、その目はなんだ、助平な目をしておるぞ」虎之助は太に詰め寄った。

「さぞかし、女将の若き乙女のころは美しかったに違いないのう、五十歳とは思えない美しさだ。この時代、寿命が伸びているとは聞き及んでいるが、これほどの若さを保つ、女はなかなかのものじゃ、何か秘訣でもあるにちがいない」

太は、虎之助に近寄り小声で話した。

二人は、うっしっしと、笑いを堪えながら小突き合った。

角之進が、困った者じゃと、言わんばかりの顔つきで、二人の間に入ってきた。

「虎も太も場をわきまえないか、女将の容姿を見て、ニヤニヤしている場合か、開会式が終わって、これから第一試合が始まるというのに」

虎之助たちの夏
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