虎之助たちの夏
加藤清正って知っていますか。
思い出すのは、熊本城の築城や朝鮮出兵での虎退治が有名でしょうか。
豊臣秀吉が天下を治めていた時代に、家臣として朝鮮出兵で武勇を唸らせた勇猛果敢な武将です。しかしながら、朝鮮半島での侵略は、秀吉の命令とは言え、朝鮮の兵士や民たちを苦しめたようです。
秀吉は、国際貿易を行ってきた、明や朝鮮に攻め込んだため、後々、修復ができないほどの打撃を与えたのです。やがて、秀吉が死に、石田三成が実権を握ったため、豊臣家は関ヶ原の戦いを経て、滅亡していきます。
加藤清正は、関が原の戦いでは徳川方につき、石田三成軍と戦い勝利を治めたのですが、豊臣秀頼を守り抜いたため、徳川家康に毒殺されたのです。その後、家督を継いだ加藤忠弘は、家光と忠長の世継ぎ騒動に巻き込まれて、忠広は改易へと追い込まれてしまいます。徳川家康は、徹底して豊臣恩顧の大名たちを一人残らず死に至らしめたのです。忠広は、家臣や家族、孫に至るまで一族郎党が殺されるのを目の当たりにしながらも、血の涙を流しながら、争い事だけはするなと、わずかに残った家臣たちに告げながら死んでいきました。
徳川家康は、徹底して加藤家の子供や孫までも冷血に徹して時間を掛けて抹殺していったのです。
清正が後世、残していったものは、多数ありますが、豊臣家への恩を忘れぬ忠誠心と肥後の国創りでした。
肥後の国は、現在の熊本県です。
熊本県の県民は、加藤清正のことを尊敬と親しみを込めて「清正公」さんと呼んでいます。
遺産としては、難攻不落な名城の熊本城を始め、熊本城を支える石垣の武者返し、絢爛華麗な本丸御殿、威風堂々とした天守閣と櫓、素晴らしい遺産として、今日に残っています。
城づくりや財政政策、海外貿易などの商才、文武両道を奨励し、民たちを大事にして、誇り高き民を育て上げました。
大雨が降る度に、民百姓を苦しめた白川も、清正の治水工事により、実り豊かな川に変わったのです。
肥後の国を実り多き国にした清正公ですが、肥後の国で暮らしたのは、通算十三年ほどですが、今なお、県民を始め、多くの方に愛されています。
さて、清正公は、天界の霊界審判所にいるようです。
霊界審判所とは、霊界に来た魂をそれぞれの部署において、生前に徳を積んできた審査を行い、天界と地獄に送り出す機関です。息子の加藤忠広は、霊界審判所の審判員として、霊魂たちの将来を司っているのです。
清正公は、霊界審判所においては、審判所の番人となっています。
本来ならば、父である加藤清正が、霊界審判所の審判員になるはずでしたが、生前の己の生き方は、魂を裁くには不適切と霊界審判長に談判して、忠広を薦めたのです。
清正は、生前の罪を悔やみ、生涯審判所を守ることを務めにしたのです。
忠広は審判員となり、清正は審判所の番人となったのです。
この物語は、加藤清正と家臣団が、世のため人のために時代を超えて、日夜奔走する物語です。その清正と一緒に行動する家臣たちがいます。
加藤清正には、加藤家十六将と言われる勇猛果敢な武将たちがいます。その中でも三傑と呼ばれている誉れ高き武将が、森本義太夫、飯田角兵衛、庄林隼人の三名を言います、肥後の国統一の際に、小西行長の天草一揆制圧に加勢し、目覚ましい活躍を見せた三人の呼び名です。その武運を認められ、豊臣秀吉から清正を通じて、それぞれ、白鳥毛、黒鳥毛、赤鳥毛の長槍を賜ったと伝えられています。
森本義太夫と飯田角兵衛は、幼いころから加藤清正と一緒に育ち、清正の男気にほれ込み家臣になったと言われています。二人とも、武勇に優れ、土木工事にも明るく、熊本城、江戸城、名古屋城の普請を行い、築城に才能を発揮させて、名城を造り上げたのです。
とくに、熊本城は、西南の役では、西郷隆盛率いる薩摩軍の攻撃に耐え、陥落させることができなかった。西郷隆盛は、明治政府の官軍に負けたのではなく、清正公に負けたとつぶやいたほどの難攻不落の名城に仕上げたのです。
庄林隼人は、戦においては戦略にすぐれ、天草一揆討伐においては、優れた活躍をして、三傑に加えられた実力を発揮したのです。
三人ともに、清正の信頼も厚く、歴史に残る武将です。
金管は、清正が朝鮮出兵の時に、朝鮮から連れてきた少年でした。左官の技術を持っていたため、肥後の国づくりでは八面六臂の活躍をしましたのです。
忠広は、加藤家の家督を継いだ時に、勢いに乗り駿河大納言忠長と親しくなりすぎ、徳川家康の逆鱗に触れ、改易になったことを思い出していた。無能藩主であり、時代の先を見ることができなかったことを今でも悔やんでいるのです。
本来ならば、父である加藤清正が、霊界審判所の審判員になるはずであったが、生前の己の生き方は、魂を裁くには不適切と霊界審判長に談判し、息子の忠広を薦めました。
地獄界の閻魔大王は烈火の如く怒りましたが、清正は地獄界に乗り込み、閻魔大王に拝謁し、生前の罪を語り、閻魔大王に忠節を誓い、審判所を守ることを生涯の務めとしたのです。
忠広は、生前の生き方を猛省しながら審判員となり、公正な判断で務めているのです。清正は審判所の番人となり、襲い掛かってくる悪霊たちと戦っているのです。
さあ、皆さん、この物語は、御祖父さんや御祖母さんの頃の懐かしい少年野球の話しです。青空の下で白い軟球を追いかけながら、清正たちと一緒に、全力で駆け抜けていきませんか。
霊界の熊本城では、加藤清正と家臣の森本義太夫が、お互いを見てにやけていた。
「殿、何を企んでおります」
家臣の森本義太夫が、にやけながら清正を一瞥した。
「義太夫、そちこそ、企んでおろう」
清正は、笑いを堪えながら、義太夫を手で招いた。
「一、二、三で、企んでいることを言うぞ、よいな」
義太夫は、口を押さえながらうなずいた。
「一、二、三」清正は号令を掛けた。
「世直しの旅に出たい」義太夫が言った。
「殿、殿は、なぜ言わぬでござるか」
義太夫が、清正のとぼけた顔に向かって言った。
ならば言わせてみせるわと、義太夫は、清正に突っかかっていったが、投げ飛ばされた。
「義太夫、そちが霊界審判員に届け出をしろ、言った者がきちんと手続きをするのじゃ」
清正は、倒れた義太夫の耳を引っ張りながら、耳元でささやいた。
「なにをしておられる、また、相撲ですか」
飯田角兵衛が、困り果てた顔でやってきた。
「殿、退屈なのはわかっておりますが、義太夫相手に相撲をとると、皆に迷惑が掛かりますぞ。お二人の巨漢が騒ぎ出すと、騒ぎを聞きつけ、霊界パトロールの烏天狗たちが来ますぞ。それに、霊界審判員であらせられます、加藤忠広様に、ご迷惑が及びますぞ。親が子に迷惑を掛けるとは、何事でござるか」
清正がふいに、角兵衛に突っかかった。
角兵衛は、清正の腕を取り上げ投げ飛ばしたが、清正は回転をして着地をした。
「角兵衛、腕をあげたな、だが、投げ飛ばしすぎは、敵に攻撃を与えることになる、気をつけよ」そう言いながら清正は、笑みを浮かべて、角兵衛の手を取り、
「義太夫がな、旅の手続きをしてくれる。角兵衛も一緒に行かぬか」
厳しい顔をしていた角兵衛の顔がほころんだ。
「それはよかですな」と角兵衛。
「そうじゃろう、そうじゃろう、さっきは何だ、子に親が迷惑を掛けるだと、忠広が最も尊敬しているのは、角兵衛お主じゃ。それならば、義太夫と一緒に忠広の所へ行って、手続きをしてまいれ。旅には、大木と金管を加えよう、そうそう隼人も退屈しておろう、あやつも連れて行くか、楽しい旅になるのう」
清正は、鋭い眼差しで、二人を睨み付けながら、ゆっくりと笑みを浮かべた。
義太夫と角兵衛は、頭を下げてそくそくと天守閣を後にした。
霊界審判所とは、霊界に来た魂をそれぞれの部署において、生前に徳を積んできた審査を行い、天界と地獄に送り出す機関である。加藤忠広は、霊界審判所の審判員として、霊魂たちの将来を司っているのだ。
霊界審判所では、加藤忠広が笑顔で迎えてくれた。
私が言ったばかりにと、森本義太夫が詫びを入れた。
「お二人とも、父のわがままに振り回されて、申し訳ありません」
忠広は、日頃の苦労をねぎらいながら、頭を下げた。
「忠広様、もったいない、お顔をお上げ下さい。この義太夫が、殿の策略を見破れなかったのが、そもそもの原因であります。殿がこの世に降り旅をしたい、忠広様、この際ですので、殿にびしっと言ってやって下され、世直しのできないような旅ならならぬと、厳しく言って下されないか」
「義太夫、何を申す、殿を旅に出さぬが、我らの努め、世直しなどと条件を付けてどうするのじゃ、そもそも、お主が行きたくて、殿を焚き付けおるのではないのか」
角兵衛は、隣に座っている義太夫の頭をこづいた。
「角兵衛お主こそ、殿から旅に出るぞと言われ、嬉しそうに童のような笑いを浮かべたではないか」義太夫は、角兵衛の頬をつねった。
「おやめくだされ、お二人の気持ちは良くわかり申した。父上を宜しくお願いします。ただし、大木土佐守は、私の知恵袋であり、霊界審判所の相談員でもある。代わりに」
忠広は手を叩いた。
スーッと襖が開き、庄林隼人が入ってきた。
「この庄林をお供に加えてくれませんか、加藤家三傑で、父を守っていただきたい。武勇の義太夫、参謀の角兵衛、戦略の隼人、そして、殿を諫めることができる、金管とで、世直しに行って下され。父が考えていることなど、手に取るようにわかりますが、今度の旅は、父上にも考えがあっての旅のようです。肥後にいた領民の末裔たちを救いたいとの想いがあるのでしょう。肥後の土地を離れ、別の土地で頑張っている子供たちに、生きる希望を与えたいようです。皆には済まぬが、肥後の将来と、日本の将来を担う子供たちのために、一働きしていただきたいのですが、お願いできそうでしょうか」
「喜んで行って参ります」義太夫は頭を下げた、それに習い角兵衛と隼人も頭を下げた。
「この旅は、この世に滞在できるのは七日間のみ、八日目には、この霊界に戻ることとなります。人として七日の間に、目的を果たしてもらうことが条件となりますが、父上ならば、どんな条件でも呑むお人じゃ、父上をよろしくお願いしたい」
忠広は手を突いて頭を下げた。
加藤清正、森本義太夫、飯田角兵衛、庄林隼人、金管の五人は、雲の船に乗り、この世へと出航した。
金管は、忠広から、預かってきた書状を懐に納め、左手で押さえていた。
忠広からは、肥後の国で生まれた子供の夢を叶えてやってくれないかとの依頼であった。
「殿、目指すかの地は、蝦夷の国でござる」義太夫が清正を一瞥した。
「蝦夷の国は、今、北海道と言われております。我々にとっては未開の地、どんな魑魅魍魎が出るかわかりませんな」
「角兵衛、恐いか」清正が角兵衛を一瞥した。
「なんの、魑魅魍魎など恐ろしくありませんが、時代が違うため、文明に戸惑うのが気になるところでござる」角兵衛は、精悍な顔を清正に向けて笑った。
「そうだ、その意気よ」清正は家臣に檄を飛ばした。
「この世では、本来の名は名乗ることができぬ。俺は、少年時代の虎之助を名乗るとしよう。義太夫と角衛兵、隼人と金管、それぞれの名を考えておくのじゃ」
清正は、そう言いながらも、それぞれの名を考えていた。
「殿、わしは、角之進と名乗りとうございます」
角兵衛は、己の角を残しながらも、江戸風の名にした。
「殿、拙者は、隼人のままで、お願いいたします」
隼人は、生前から呼ばれている名で呼んでほしいとお願いをした。
「隼人はよかろう、現代でも通じる名のようじゃ」
清正は、隼人に向かい、許す、良い名じゃと言いながら、義太夫を捕らえた。
「義太夫、そちはどうする。牛とでもするか」清正は高笑いをした。
「殿、わしは、決まっておりませぬ」義太夫は頭をかいた。
「義太夫、忠広より、名を預かってきておる。義太夫の太の一字で、太(ふとし)と名乗るのじゃ」
「太でござるか」義太夫は顔を曇らせたが、清正は義太夫を見ながら、「根性の太い、でっかい心を持った男よ」と、義太夫を励ますように言った。
「そうでござるか」義太夫は笑みを浮かべた。
「蝦夷で何をするのかは、忠広や大木から聞いておろう」
「それは、野球少年たちを救えとの命を受けておりますが、殿、野球とは何でござるか」
義太夫は清正に尋ねた。
「野球か、おい金管、金管を改め一(はじめ)、金管は、一と名乗るのじゃ、一、野球とは何か、説明してやれ」
金管こと一は、頭を下げてから話し出した。
まず、野球は、一チーム九人で編成し、相手チームと試合をする。二つの組み、またはチームが、攻撃と守備を交互に繰り返して、勝敗を競う球技である。攻撃側は、相手のチームの投手が投げたボールを打って、一塁、二塁、三塁、本塁を駆け回ることで、得点を得ることができる。守備側は、相手チームの選手を三人、権利を失しなわすことにより、攻撃をすることできる。権利を失わすことをアウトと言う。攻撃と守備の一巡は、九巡からなりたち、得点の多いチームが勝者となる。子供が試合をする場合は、九回戦ではなく、五回戦でやることが多い。
何よりも、野球は、己のチームが、相手チームより、多くの得点を叩き出して、勝つことを目的とする。力強い球技なのだ。
一は、更に野球用語を説明し、バットでボールを打つこと、グローブを使ってボールを捕球することを教えた。
「一よ、あいわかった、実践あるのみ、皆の者、心して掛かれ」
清正は、それぞれの顔を見つめながら、うなずいた。
「殿、まもなく、蝦夷の国に入ります。上下町という小さな町です、ここに肥後で生まれた子供がおります。その子は、野球の大好きな小学校六年生の男の子です。この子に小学校最後の思い出をつくってあげることが、忠広様からの命令です。上下町に着きましたら、牧場旅館に赴き、七日間お世話になります。地上に降りましたら、子供の姿になりましょう。子供の姿に変わるとき、わかっておりましょうが、髭は厳禁です。とくに、お三方、おわかりでしょうな」
金管こと一は、清正、義太夫、角衛兵の顔をまじまじと見た。
「わかっておるわ」と言い放ち、義太夫は、髭のない顔を想像していた。
「義太夫の髭がないと、何ともしまらん顔になるのう」
角衛兵が、上目づかいで、義太夫を一瞥し、プッと吹き出し笑いを堪えた。
「義太夫は、顔が丸くて目が細いから、てるてる坊主か」隼人がぽつりと言った。
この一言で、清正たちからは、割れんばかりの笑いが飛び出した。
「似ているぞ、隼人、よう言った。今が戦国の世ならば、今の一言は、百石に値する」
清正は、あっぱれと、隼人を誉めた。
「何が、てるてる坊主だ。早く、子供の姿に変わろうではありませぬか」
義太夫は、ぷりぷり怒りながら、早く地上に降りるよう仲間を促した。
地上に降りた、清正たちは、さっそく子供の姿に変身した。
「金管こと一、我々はこれから、子供の姿に変わるが、しかとお前の目で見た上で、子供らしさがあるか、どうかを言及せよ」
清正たちは、気合いを掛けて変身した。
開口一番、義太夫が「殿、そのように大木の子供はおりませんぞ」と、笑った。
「何を申す」と、清正は周りを見たが、義太夫も角衛兵たちも小さくなっている。
「これこそ、ウドの大木でござるか」義太夫が手を叩いて笑った。
「己、てるてる坊主め、逆さに吊して雨を降らせてやるわ」
生前の清正の身長は、一メートル九十センチ近くと言われている。
その清正が、生前の身長で、ランドセルを背負っている姿を想像するだけで、恐ろしくなるのだ。
烈火のごとく、怒った清正は、背を縮めたがなかなか縮まらなかった。
「殿、それぐらいで宜しいです」一は、良く出来ましたと言わんばかりの笑顔を見せた。
一メートル七十センチの虎之助が誕生した。
義太夫こと太、角衛兵こと角之進、隼人、一は、それぞれ生まれ変わった子供の姿となった。
「皆さん、子供に生まれ変わりましたね、今日を入れて七日間しかありません、早く野球を覚えましょう。これからの行動予定をお知らせします」
一は、公園のベンチに虎之助たちを座らせ、忠広からの指示について、順を追って説明を始めた。
牧場旅館の客となり、お世話になること。この上下町は、人口五千人ほどの小さな町だが、昔から少年野球が盛んで、多くの球児たちが、野球の名門高校に引き抜かれている。
毎年夏休みが来ると、公区対抗の野球大会があり、とくに六年生は、小学校最後の思い出となるため、思い切り悔いが残らないようにプレイをするのだ。上下町の公区は、十二区に分かれており、三ブロックに分かれて、ブロック別に三組の勝ち抜き試合いを行う。各ブロックのトップ同士が、総当たりで試合を行い、優賞を競い合うのだ。牧場旅館の客として、公区対抗の野球大会に参加をする。牧場旅館のある桜町は、ここ二年ぐらいの間で、子供の数が少なく試合に出られない状況であり、肥後から来た野球少年は、この桜町にいるのだ。
試合に出られないことをわかっていても、少年は練習をしている。
小さなバックネットに向かい、バットを振り、ボールを投げていた。時々、近所の同級生や下級生たちが、キャッチボールをしに来ては、相手をしてもらっていた。
人数が足りないことで、あきらめているのです。この少年を試合に出してやることが、我々の使命であることを伝えた。
「牧場旅館に行きましょう。私たちは、九州熊本から来たことになっています。北海道の田舎と熊本の田舎を比較する夏休みの自由研究を作るために、この町に来たのです。明日からは、肥後から来た少年と一緒に、野球の練習をします。今夜は、道具の使い方を覚えることにしましょう」一は、虎之助たちを牧場旅館へと案内した。
途中、各公区のグランドで、少年たちが野球の練習をしている姿があった。
打球の音で、虎之助が足を止めた。
バックネットを越えたファウルボールが、虎之助の方に向かってきた。
虎之助は、片手でボールを受け止めた。
「虎、怪我はないか」と太。
「大丈夫だ、一、一番遠くにいる奴は、どこの守りだ」
「センターという守りです」一は指で示した。
「おい、センター、受け取れ」
虎之助は、掛け声を掛けてから、バックネット越しにボールを投げた。
ボールは、きれいな放物線を描いて、センターの頭上を越えていった。
「虎、なかなかやるのう」太は虎之助の腹を肘で突いた。
「それにしても、よう飛んだわ、明日からの練習が楽しみだ」
虎之助は、笑いながらグランドを後にした。
牧場旅館の女将さんは、虎之助一行を笑顔で出迎えてくれた。
野球道具一式を部屋に入れて置いてくれていた。
部屋は十二畳の和室だ。真ん中を襖で仕切れる作りだ。
虎之助たちは野球道具を手にした。
グローブ、キャッチャーミット、ファーストミット、バット、ボールと用意されていた。
女将さんは、部屋に入るなり、虎之助たちを前に話しを始めた。
「加藤清正公と御一行の皆様方、お久しぶりでございます」
女将は三つ指をついて挨拶をした。
「我らをなぜ、知っておる」清正は女将にたずねた。
「白川の治水工事のときに、奇跡を見せていただいた、草団子の婆の生まれ変わりでございます」
女将は、自分の前世について話した。
「さようか、あの時は、手作りの料理を振る舞ってもらったのう、たくさん馳走になった。皆に成り代わり、改めて礼を言う」清正は頭を下げた。
「それにしても、なぜ、過去の前世の記憶が残ったまま、生まれ変わったのか、以前、忠広と話しをしたときに、生まれ変わる場合は、過去の記憶は消されて生まれ変わるのだが、まれに、過去の前世の記憶が残ったまま、生まれ変わる場合があるそうじゃ。それにしても、懐かしいのう」
清正は、目を細めながら、草団子のお婆との再会を喜んだ。
「私のように、前世の記憶を持ったまま生まれ変わることは、おっしゃるようにまれのようですが、この世で霊能者と名乗る方々は、その傾向が強いと言われていますが、ごく一部の方だと言われています。私は、双子で生まれましたが、妹は死産でした。生まれ変わる相手は一人、双子で生を受けることはできません。私は、その突然の変異により、生まれ変わる相手の記憶とあの世の方たちと交信ができるように、生まれたのです」
清正たちは、女将の話しにうなずいていた。
「忠広様からは、既に皆様方の使命を伺っています、金管殿、忠広様からの書状を清正公にお見せ下さい」
金管は、懐から書状を取り出し、清正公に差し向かい書状を差し出した。
清正は受け取り、忠広の書状を黙読した。
緊張の張り詰める中、清正は「肥後のためにがまださんかい」と、大声を上げた。
義太夫や角衛兵は、清正の大声で、後ろに反り返った。
「皆の者、金管の説明どおり、肥後から来た、野球少年のために人肌脱ぐぞ、ただ、野球を一緒にするのではなく、公区大会という戦で勝たなければならない。ところで、お婆、この野球少年の組は、我々が加勢すると勝利することはできるか」
女将は首を横に振った。
「そうとうな練習を積まなければ勝利することはできません。清正様たちは、野球をしたことがありません。野球をする上での決まり事を覚え、実際に振る舞ってみないと、どの程度かはわかりません。おそらく、一回戦で負けるのではないでしょうか」
女将は真顔で、清正たちを捕らえた。清正を始め家臣が、ここでやる気になるのか、諦めるのかを確かめたのだ。
「お婆、これから野球というものを教えてくれ、今からでもいい、わしらに野球を教えてくれ」清正は女将に詰め寄った。
「その前に、皆様のお名前は決まりましたか」女将の視線は金管をとらえた。
金管は、それぞれの名を女将に伝えた。
「これからは、この世での名前で、お呼びいたします、名前を呼ばれた方は、大きな声で返事をして下さい」
女将は、虎之助、太、角之進、隼人、一の名を呼んだ。
虎之助たちは、子供に返ったように、元気な声で返事をした。
「お婆様は、なんと呼びましょうか」と一。
「女将又は監督と呼んで下さい」と、子供たちに笑顔を向けた。
虎之助たちは立ち上がり、グローブを取った。
「さあ、野球道具を持ってグランドに行きましょう」
女将は、子供たちに新しい運動靴を履かせ、裏手にあるグランドに向かった。
グランドには、六人の少年が、キャッチボールをしながら野球を楽しんでいた。
女将は、野球少年たちに声を掛けた。
「ねえ、みんな、お友達を連れて来たから、一緒に野球をやらない」
子供たちは、キャッチボールをやめて、女将のもとへと駆けて来た。
「野球ができるの」六年生の高橋君が、目をキラキラさせて嬉しそうに言った。
「そうよ、こうしない、みんなで守備についてもらい、守備に就かなかったお友達が、バッターボックスで打つの、アウトになったら交代する。塁に出たお友達は、スリーアウトになるまで走ってね」
女将は、お友達を守備に就かせ、虎之助、角之進、隼人に、ボールの捕球とファーストに返球することを教えた。
太と一は、順にバッターボックスに入り、ボールを打つことを教え、バットにボールが当たったら、一塁に向かって走ることを教えた。
「今日、連れてきたお友達は、野球をしたことがないの、みんなで教えてあげてね」
女将は、高橋君たちにお願いをした。
「牧場旅館の女将さん、僕たちは試合には、出られないけれどいいの」
「高橋君、何を言っているの、試合は六日後よ、桜町少年野球部は、おばさんが、昨日登録したのよ、ぎりぎり間に合ったけれど、このメンバーで特別に認められたの。ここにいるお友達は、九州の熊本県から遊びに来たの、頑張って優勝しましょう」
優勝と聞いたとき、高橋君は戸惑った様子をみせた。
「女将さん、僕たちが優勝を目指すのですか」
「そうよ、高橋君のお母さんたちから監督を頼まれたの、引き受ける以上は、優勝を目指して頑張るわ、このチームは即席だけど、一人一人が優れた力を持っているの、ピッチング、バッティング、守備、走塁、そして、一生懸命さが感じられるの、思い切り力を出し切れば優勝も夢ではないのよ、さあ、高橋君、太君はホームランバッターの素質があるから、遠慮しないで投げてごらんなさい、その前に肩慣らしをしましょう」
女将は、選手たちにポジションを伝えた。
ピッチャーは高橋君、キャッチャーは丸井君、この六年生の二人は、普段から練習をしているバッテリーだ。セカンドとショートは篠原兄弟、六年生の兄の大地と、四年生の弟の大河は、息もピッタシの三遊間コンビだ。兄の大地は、右でも左でも打てるスイッチバッターだ。レフトは五年生の橋詰君、レフトの位置からバックホームに遠投できる強肩の持ち主だ。サードは五年生の白鳥君、左利きのためサードとファーストしか守れないが、守備のセンスは抜群だ。だが、心臓病を患っているので、三回戦までしかプレイできない制約がある。
長身の虎之助はファースト、難しいフライに慣れてもらうため、角之進はライト、俊足の隼人はセンターを守ることとなった。
まずは、肩慣らしのため、女将がそれぞれのポジションに声を掛け、ノックを打った。
最初はフライを打ち上げて、ボールを捕球させた。
次は、ゴロを打ち、各守備のセンスを確かめた。
一は、女将の意図を画策していた。
守備に就いている少年たちの名前を書いたノートとペンを持たされた意味を、一は画策しているのだ。
女将は、二重丸、丸、三角を記入するよう、一を促した。
虎之助は三角だが、角之進は丸だ。
隼人は、どんな球も捕球することができたので、二重丸だ。
太をバッターボックスに立たせて、高橋君が投げるよう指示をした。
高橋君の投げる直球は、速いのが武器だが、ど真ん中に入りすぎている。これでは、打たれてしまうのだ。腕の振り方の投球フオームを少しだけ変える必要があると思った。
女将は太に、太刀で胴を斬る要領でバットを振ることを教え、二回ほど、太に素振りをさせてから、打席で構えさせた。
女将は、高橋君に最初の一球は、ど真ん中に投げるよう指示をした。
一球が投げられた、太は、ボールを着物の模様に見立てて、胴を斬り込んだ。
ボールは、放物線を描き、レフトを守っている橋詰君の頭上を越えていったが、隼人がセンターから廻り込み、ボールをキャッチした。
隼人の足の速さも見事ながら、打った瞬間にボールが飛んでくる位置を把握している様子が伺えるのだ。
女将は更に、太にアッパースイングを教えた、下段から斬り上げる要領で、ボールを当てるよう指示をした。高橋君には、内角低めの直球を投げるよう伝えた。
太は、内角低めの直球を当てた。ボールは音をたて、センター真正面に飛んでいった。
隼人が胸の位置でボールをキャッチした。
女将は、隼人は十分すぎるぐらい、センターとしての素質があることが嬉しかった。
「太君は交代よ、一君、打席に入って」女将は、一をバッターボックスに立たせた。
「高橋君、変化球は何か投げられるの」女将は変化球を要求した。
高橋君の直球は速いが、四連投を投げ続けることは難しい、とくに直球は、体力を激しく消耗させるので、疲労も大きく肩への負担も大きいが、いくつかの球種を投げることができれば、四連投を投げ抜くことも可能だ。女将は、投球フオームを少し変えることにより、速い変化球を投げられることに期待をかけた。
「カーブを投げられます、たてに落ちるカーブと横に曲がるカーブですが、そんなに速くありませんが」高橋君は声のトーンを落として言った。
「大丈夫よ、相手バッターのタイミングを外せばいいの、それと腕の振りを少し変えてみましょうか」女将は明るい声で励ました。
「一君、さっき教えた方法で塁に出るのよ」
女将は、一に声を掛けた、一は一礼をしてからバットを構えた。
高橋君は直球を投げたが、一はバントの構えだ。
バントは成功、一は一塁ベースを踏んだ。
「さあ、今から本番よ、野球を始めましょう」
女将は、順々に打たせながら、それぞれ守備につかせた。
二巡目を回った時には、久しぶりの試合形式だったせいか、少年たちは肩で息をしている。今の力ならば、初戦は勝てると確信したが、二戦目は、昨年準優勝した錦町野球部だ。強打者揃いの打撃中心のチームだ。錦町少年野球部は、五回戦までまともに戦ったことがないチームなのだ、コールドゲームで勝ち進むチームだ。この町のルールでは、十点以上差がついた場合は、コールドケームとなり、途中で試合終了となるのだ。五回戦まで引っ張ることが鍵だ。
女将は、皆をホームベースまで引き上げさせてから、守備の発表をした。
「最初に守ったところが、あなたたちのポジションとします。明日から、ユニフォームを着て練習をしましょう。背番号入りのユニフォームを着て頑張りましょうね。さあ、今日は帰りましょう、明日は、午後一時までに、旅館に来て下さい、ユニフォームを渡しますから、着替えてから練習をしましょうね。それでは、キャプテン、本日の練習は終わります」
「監督、ありがとうございました」少年たちは声を揃えて、帽子を脱いで頭を下げた。
虎之助たちも帽子を脱いで頭を下げた。
子供たちは、すがすがしい笑顔で、野球道具を持ちながら、グランドを後にした。
女将は、夕焼け空を見ながら、忠広の言葉をかみ締めていた。
「お婆、いや女将、なんと呼んだらいいのか、幼いときに遊んでもらったことを今でも覚えておるぞ。母と離れて暮らしていたので、女将に抱いてもらいながら寝付いたことも覚えておる。子供にとって、親の愛情は何よりも得がたいものじゃ。肥後生まれの高橋少年の願いは、父上たちが参加することで、試合ができるのだから達成はできるが、心に残るような思い出づくりはできるだろう。父上と三将たちが加わる以上、優勝を目指すことは必須となるだろう。戦場を駆け抜けてきた武将が、おめおめと負ける戦はできないのだ。たとえ負けたとしても、精一杯、頑張ったという証があれば満足するだろう。心の糧となる証を少年たちに授けてもらいたい。女将、一生忘れることのできないような、思い出を作ってもらいたいのだ」
女将は、優しい忠広の顔を思い描いていた。
「女将」背後から声がした。
聞き覚えのある、嫌な声だと察した。
ゆっくりと振り向くと、そこには、二十年前に高校野球で、代打で活躍した男がいた。
「ソフトボールで、全道大会準優勝した功績があるようだが、たがが、女がやるソフトボールだ。野球とソフトボールでは雲泥の差がある。最近、あちらこちらのグランドで、少年野球の練習を見に来ているから、おかしいなと思ってはいたよ。こういうことだったのか、所詮、女が監督をしても、真似事で終わる。一回戦で勝つことじたいが奇跡だ。まあ、二回戦で当たるか、どうかはわからないが、錦町チームの今年の目標は、全試合コードルゲームで終わらせることが目標だ」
男は得意げに言った。
男の名は、馬場一郎という、北海道の高校野球の名門、石狩学園に特待生として入学し、代打の切り札として、北海道大会で、さよならホームランを叩きだした男だ。長距離バッターとしては、プロの素質はあるものの、守備に難点があったため、プロ野球のドラフト会議では、声は掛からなかった。実業団の野球部で五年ほど活躍したあとは、家業の飲食店を継ぎ、町民の憩いの場として提供をしているのだ。
「真似事でもね、うちのチームには、見てのとおり素質のある選手がいるの」
女将は踵を返した。
「確かに、センターを守っていた少年の足の動きは一流だと思ったし、太という少年のバッティングにも魅力を感じたが、後はたいしたことはない」男は唇を歪めて笑った。
「そのセンターと代打は、今日、初めて野球をしたのよ、セーフティーバントを成功した子も、ファーストを守っていた手足の長い子も、ライトに飛んでくる癖玉をキャッチしていた子も、グローブを付けるのも、バットを振るのも、今日が初めてだったの、あと五日の練習で、どれぐらい実力が出せるか楽しみだわ」
女将は少しうつむいてから微笑んだ。
「初めてだと、嘘だろう、女将の連れてきた五人の少年の運動神経は、抜群に優れている。何か、他のスポーツをやっていたのだろう」