「ジャンヌ Jeanne, the Bystander」
河合 莞爾(祥伝社文庫 2022年)
ロボット技術の発展著しい現代だが、ロボットが人間を超越することはあり得るのか。
これが今回紹介する小説のテーマである。この物語は、ジャンヌと名づけられた家事ロボットがその主人を殺したという事件から始まる。劇的な人口減少に直面した近未来日本では、その労働力を様々なロボットの使役によって賄っていた。AIを搭載したロボットは「人間に危害を加えてはいけない」というルールを含むロボット三原則を遵守しなければならない。
ジャンヌは尋問で犯行を認めながらも動機を黙秘し、しかも殺人行為はロボット三原則に抵触しないと主張する。ジャンヌの機能を検査しても、そこに故障やバグはなかった。システム上どうやっても人を害し得ないロボットが、いかにして殺人を成し得たのか。ストーリーの根幹を貫くこの謎を解明しようと奔走するのが、警視庁の警部補である相崎按人である。ジャンヌの移送を命じられた相崎はその最中謎の武装集団に襲撃され、想像を絶する巨大な陰謀に巻き込まれていく。
世界観や設定という角度からこの作品を見てみると、物語の舞台が近未来の日本であることや、ロボット三原則の元になったのが実在したSF作家アイザック・アシモフのロボット工学三原則であることも手伝って、大変読みやすい部類に入るのではないかと思う。SFジャンルの中では比較的リアルな世界観だ。近未来の日本において、ロボット実用化が急速に進められた理由が少子高齢化に伴う人口減少であるというのも、いやな生々しさを演出している。また、大学の講義で紹介されるような実験や情報が作中登場するので、普段SFジャンルに親しみのない読者でも現実世界の延長として受け入れやすいのではないだろうか。
SFというだけでなくミステリの要素を多分に含み、武装集団に襲われるシーンでのアクロバティックなカーチェイスはさながらハリウッドのアクション映画のようだ。展開のメリハリが大きく、読んでいて飽きの来ない構成である。
さて、物語はロボットによる殺人の謎を解き明かす警部補・相崎の視点から語られる。自動車などの交通インフラまでも文字通りの自動化がなされた社会で、ロボット嫌いを自称する相崎は成り行き上仕方なくジャンヌと共に行動することになる。人間とロボットという対照の関係でありながらも、両者の掛け合いはどこかコミカルでバディムービーを見ているように感じられる。
ジャンヌはロボットだがシニカルなジョークを会話に織り交ぜるのだ。感情をもたないのに自然言語を扱うロボットはどこか不気味で薄っぺらな存在にも思えるが、こうした軽妙さがジャンヌに登場人物としての厚みを持たせている。しかしジャンヌ自身「私を擬人化しないでください」、「ロボットに感情はありません」と相崎に再三伝えるのは、相崎だけでなく読者に対しての忠告でもあるだろう。実際ジャンヌに人格を認め感情移入しながら物語を読み進めると、要所で彼女のロボットとしての一貫性を見せつけられ突き放されるということがままある。
人間によって、人間のために作られたロボットは、人間を害することができない。これは現実においてもSFの世界においてもある程度前提とされるような思想である。そしてロボットは論理と計算によって構成されている。究極まで遡れば、コンピュータは0と1の二進法でプログラムされる。コンピュータの言語に存在するのは0と1だけだ。計算通りにしか動かず、その過程に矛盾が生じれば、それを人間がするように思考して解消することはなく、矛盾が生じた時点で停止する。原理上、人間の想定を超え出ないように設計されている。
相崎が解決しようと努める、ロボットによる殺人事件の難解さはこの点に集約される。どうしてジャンヌは、人を害してはいけないという命令を守りながら殺人するという矛盾を乗り越えたのか。矛盾を解消するという行いは、思考することのできる、すなわち悩むことのできる人間という存在の、言わば特権なのである。ジャンヌはどのように人間に漸近することができたのか。
私たち読者は物語の視点の主である相崎に感情移入し、相崎の思考回路をなぞって物語の結末へと導かれる。人間であるとは、あるいはロボットであるとはどのようなことなのだろうか。日常生活を送る中で、自身が人間であることを意識する人はほとんどいないだろう。この小説は、私たち読者がどこまでいってもあくまで人間であるという事実を克明に突きつけると同時に、しかしその価値観を根底から揺るがし人間たるの特権を打ち崩す。ミステリらしく要所要所に重要な伏線が仕込まれており、正しく読み解けば確かにあの結論に至らざるを得ないということが明らかになる。近年流行りはじめた論理的思考力という言葉があるが、この小説は読者のそれを試すのにもってこいかもしれない。ぜひジャンヌというロボットと、読書を通じて対話していただきたい。
書き手 小松貴海
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