金閣寺
三島由紀夫(新潮文庫 初版1960年、新版2020年)
時代の中で懸命に生きた小説家は数多いるが、三島由紀夫ほど、現代を生きる我々にとってセンセーショナルな作家はそうは見つからないだろう。戦後日本文学を代表する作家であり、昭和に生きながら切腹自害を遂げたことで今でも人々の記憶に鮮明に残っている。
さて、日本では政治的メッセージの込められた芸術を忌避する傾向にある。それは国家や政治権力から表現の自由を守るという主張も一因にはあるが、一般に普遍的な美というものは政治、言い換えれば俗世的なものとは無縁であると考えられがちだからだ。
しかし時代の潮流の中で生きる表現者達が、全く彼らの生きる現実に影響を受けずに浮世離れした夢想ばかりしていたということがあるだろうか。芸術家、小説家、あらゆる表現者は、我々と同じく俗世を生きる人間である。
フランス革命後に隆盛したロマン主義しかり世界大戦後の戦後作家しかり、世界を揺り動かす動乱を生き抜いた人々の作品は、その時代背景を表すように政治的関心が表れた傑作が多い。三島もまたそうした表現者の一人であり、『金閣寺』は1950年に実際に起きた金閣寺放火事件が契機となって執筆された。三島文学の中でも、最も世間的評価の高い作品として名高い。
主人公溝口が金閣という最高の美の象徴に想いを馳せながらも、その金閣を焼こうと決心するに至った経緯を告白調で述べるという形式を採っている。仏教用語が多い点や、文章の端々に溝口の複雑な思考が挟まる点では、読みにくいという印象が残るかもしれない。しかしその点を除けば、硬質で理知的な文体や美の概念という主題性は日本のみならず海外でも広く評価され、1964年の第4回国際文学賞第2位を受賞したほどである。
『金閣寺』がこれほどまでに評価される理由には、金閣という概念が日本人の伝統や天皇を象徴しており戦後の日本人の感情を巧みに表現しているためとする評論もあるが、ここで私は『金閣寺』に見られる三島の哲学観について取り上げたい。というのも、十九世紀ドイツ哲学を選考している私にとって、この作品で用いられる様々な表現は明らかに見覚えのあるものばかりであるからだ。
『金閣寺』において主人公溝口に仮託されて提示される、世界と「私」、普遍的な美といつか崩壊する美、認識と行為、こうした概念の対比は、十八世紀の大哲学者カントやその周辺のドイツ哲学に端を発する。三島はニーチェやトマス・マンの他、ロマン主義と言われる作家の作品に影響を受けていたが、『金閣寺』における表現からはとりわけドイツにおけるロマン主義の思想が感じ取られる。そしてドイツロマン主義はドイツ哲学と切っても切れないほど深い紐帯で結ばれている。多くのドイツロマン主義の作家が、ドイツ観念論と呼ばれる立場の哲学者と交流をもち、その文学には多分に哲学的思想が流れ込んでいるのだ。
三島由紀夫とカントを結びつける文学研究が散見されるが、私個人の意見としてはカントの後継的な哲学者フィヒテの思想の方がより『金閣寺』で論じられる内容に近いのではないかと思う。
「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」(273頁)
この言葉はまさしくフィヒテという哲学者の思想の根幹を成すものなのだ。唯一絶対なる存在としての金閣と溝口の「私」という意識の対峙、もっと言えば三島の国家観など、様々な点でフィヒテとの類似が感じられる。そしてフィヒテもまた、三島同様に動乱の時代の中で活動し、政治的関心を強く表現した思想家であった。彼も自身の著作の中で政治と行為のあり方を我々に訴えかける。
フィヒテを研究する私の贔屓目もあるだろうが、それを差し引いてもフィヒテと三島の思想との関連は大変興味深い。しかしながら、意外なまでにこの両者を比較しようと試みる文学研究は見つからなかった。フィヒテ哲学の研究者が少ないことや、三島由紀夫を哲学の見地から研究する試みが文学研究ほどには盛んでないことが要因だろうが、誠に残念なことだ。
『金閣寺』を文学として楽しむと同時に、私は三島由紀夫の哲学的思想にスポットが当てられることを期待したい。
書き手 小松貴海
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