「Kaddish」
(Gina Kehayoff Verlag 1998年)
この本は1998年にパリ市立近代美術館で行われた現代アートの巨匠クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展に際して発行された作品集である。
作品集、というと作品そのものの写真やインタビュー、図録などが載っているものを思い浮かべてしまうが、「Kaddish」はそれらの作品集とは少し形態が違う。
ここに載っているのは人間の肖像写真だが、それを撮ったのはボルタンスキーではないからだ。彼はそれらの写真を収集したのである。写真に写る人々の共通項はホロコーストの犠牲者という点だ。ボルタンスキーの作品はある時には壁一面を写真で覆い、またある時は大量の衣服を山のように積み重ねてある。彼が作品を作る根幹の一つに生や死、そして個人の記憶の問題がある。これは彼自身ユダヤ人であり、親族がホロコーストにあったという記憶が彼の心に深く刻みこまれていることと深い関係がある。
とにかく大量のものやイメージを組み込む作品を見ていると、アウシュヴィッツ強制収容所に積み重ねられた大量の遺品を思い出す人もいるだろう。
彼の作品には写真や衣服といった、いわば「生きた人の抜け殻」というべきものが多く登場する。この作品集の元になった写真群にもこれに近い特性があるように思われる。ページをめくっていくとおびただしい数のモノクロ写真がある。
写真の粒子が粗いのは多くのものがアルバムや新聞に載っていたものを引き伸ばしたからであろう。
ざらりとした写真は輪郭が曖昧だ。堆積した大量の個人の肖像はある時点で確かに生きていた人間の生をこれでもかと眼前に写し出そうとするかのように引き伸ばされている。個人の生命の強調がそこにある一方で、あまりにも多くの画像によって今は亡き個人が飽和しきっている。
生命、そして個人の所在はどこにあるのだろうか。かつて生きていたということだけがわかる名も知らぬ人々の写真の群れを見ていると、輪郭も表情もはっきりと認識できなくなってくる。改めて「ホロコーストの犠牲者」であるということを思い返すと、生命も情報も、暴力の前にはこれほどに軽んじられてしまうものなのかと空恐ろしい。薄葉のモノクロ写真となった彼らは見るものの胸に大量に押し寄せ、迫害の無念と恐怖を伝えてくる。
書き手 上村麻里恵
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