花と死王
中本道代(思潮社 2008年)
言葉の力というものを、日常において意識することはあるだろうか。
インターネットやSNSが身近になった今、何気なく発した言葉で人を傷つけたり、そうかと思えば赤の他人の言葉に勇気づけられたり。対面での会話と違って、文字として可視化された言葉が溢れかえっている。あまりに多くの言葉に触れて、言うなれば言葉に酔ってしまった時にこの本を読んでほしい。
今回紹介するのは『花と死王』という詩集だ。作者・中本道代は広島県出身の詩人である。現代詩の中でも優秀な作品に授与される賞を複数獲得した作家だ。近年では『接吻』という作品で2018年に谷川俊太郎賞を受賞しており、この作品以前に発表された『花と死王』もある賞を得ている。
彼女の詩の特徴は、極限まで削られた少ない言葉に込められた表象と、その語彙の透徹さから由来する侘び寂びにある。本書を読むと、どこか金属音の余韻のような、冷たく響くキレの良さを感じずにはいられないだろう。植物や川、町など、私たちが日常で触れている何気ないものを表現しているにも関わらず、その言葉の奥には剥き出しの感性があることが伝わってくる。読み進めるにつれ、読者の思考を研ぎ澄ませ露わにしていくような空気があるのだ。
特に私がこの詩集の中で気に入っている作品は「鯉」だ。ありふれている汚れた小川と、その中に泳ぐ鯉が題材となっている。この作品の中で最も惹かれる一節を以下に引用する。
小さな川も空を映せば 底なしになり 鯉はおびただしく 川を泳いでいるのか空を泳いでいるのか わからない眼を見開いている (『花と死王』44頁より)
川に魚が泳いでいるというのはよくある情景であるし、水面が反射するのも当然のことだ。それが中本の感性を通すと、そんな世界の見方があるのかと思うような新鮮さを纏って読者に開示される。この作品の最後では、宇宙という言葉で夕暮れから夜に移り変わる様を表している。小さな川という始まりから巨大な空・宇宙に着地するという強いコントラストと、それを繋ぐ鯉の存在感が、青い透明な空気を演出している。とても美しく、密やかながら広大な印象を与える詩だ。
ところで私は普段、思考やコミュニケーションを行うツールとして言葉を用いている。自分の意思を考えたり伝えたりするという日常的な行為の中では、その内容こそが重要視され言葉それ自体に意識が傾けられることは少ない。こうしたことは、ほとんど多くの現代人にとって当たり前のことであり、無意識下に潜んで我々の目には隠されてしまっている。
対して現代詩やポエムは、純粋な言葉そのものを目的として言葉が用いられる場だ。それは感性の発露であり、なぜ・どのようにしてその詩が生まれたのかというコンテクストはここでは括弧に入れられる。誰の言葉であるとか、どんな意図であるとかそうした個別的な事情を捨象することによって、ただそこにある純然たる言葉だけがぽつんと浮かび上がる。我々の目を、言葉それ自体に向けさせる。
『花と死王』は、特にこうした現代詩の在り方を体現している。すなわち、詩という媒介を以て読者の物理性を透明化するのだ。読んでいる最中、私達は日常の煩雑さを忘れ、言葉とその行間に存する独自の世界に入り込む。
この詩集を読めば、飲食の間に水を飲むように、感覚がリセットされることだろう。ぜひ、現代詩の魅力を体感していただきたい。
書き手 小松貴海
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