白の闇
作:ジョゼ・サラマーゴ 訳:雨沢 泰(河出文庫 2020年)
私たちの日常が、コロナウィルスによって崩れ去って早三年。新たな日常の形がつくられてきた。
歴史を見れば、天然痘やペスト、結核、インフルエンザなど、数々の感染症が度々人類を襲っている。パンデミックとは、ある感染症が特定の地域やコミュニティの枠を超え、国境や大陸を跨いで流行することである。
さて、もしもあなたの視界が突然白くなって、しかもそれには治療法がなく他者に感染するとしたら、あなたはどうするだろうか。
今回紹介する作品、ジョゼ・サラマーゴ作『白の闇』では、突然視界が真っ白になるという謎の病が人から人へ伝播していく。運転中の男が突然失明するシーンから物語が始まり、パンデミックによる未曾有のパニックが広がる中で、人々の善意と悪意が問われる作品だ。
物語の視点となるのは、最初に失明した運転中の男が頼った目医者の妻である。目医者の夫やその患者など関係者が次々と失明していくのに、なぜか彼女だけは目が見えている。唯一視界をもつ彼女が、我々へのストーリーテラーとなる。失明が感染症だと判明したことで、感染者は直ちに病院に隔離されることとなるのだが、彼女は夫を支えるために感染者のふりをして病院での隔離生活を送る。
失明は感染力が非常に強く、いつ治るのかも分からない。政府は、感染者を犠牲にすることで大勢の市民を守ろうとする。病院への食料や支援物資など、感染者が少ないうちは平等に分けられたものが、感染者が増えるにつれ不足する。突然の失明なのだから、どこにあるか分からないシャワーやトイレを使うことも難しい。
病院内での生活水準は急激に下がり、感染者が増えることでそれまで守られていた秩序が崩壊し、スラムのような無法地帯へと変貌していく。目医者の妻は、無力感に苛まれながらただ一人その様相を見据え続ける。
あくまで架空の感染症であるし、これほど文明を破壊するようなものではないにしろ、コロナによってこうした危機感はより身近になったのではないだろうか。誰でも感染症にかかるおそれがあるということを平常時には理解していても、いざパンデミックになると「感染予防をしていないのが悪い」だとか「感染しやすい場所へ行ったのが原因だ」などと言って感染者を軽視する傾向は、コロナの流行初期にもよく見られた。AIDSが流行した際にはもっと露骨に偏見が向けられていたことも、忘れてはならない。
無意識の軽視はやがて、坂を転がり落ちる雪玉のように、止められない大きな悪意へと膨れ上がっていく。こうした道徳の失墜がこの作品では描かれているが、幸運なことに現在の現実ではこれほどの事態には陥っていないし、これから先の未来でもこうならないことを願う。
『白の闇』は1995年に出版されたのだが、2020年に文庫化されたことで、コロナ禍と相まって大反響を呼んだ。いつの時代も、パンデミックというのはある日突然、多くの人々の命を奪っていく。しかしそれが自分たちの身に降りかかろうとは、実際に経験するまで思いもしない。コロナの大流行を経た今こそ、この作品に触れ自身の心のあり方について振り返ってみてほしい。
書き手 小松貴海
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