「荒木経惟写真全集11 廃墟で」
荒木 経惟 撮影(平凡社 1996年)
現代における日本の写真家の代表格である「アラーキー」こと荒木経惟。この写真集では彼が妻・陽子を喪ってからの日々を撮影したものである。写真を撮るというのは面白い行為である。これからも思い出したい、振り返りたい特別な思い出を残すために写真が撮られるということはよくあるが、その一方でなんの変哲もなく撮られなければ振り向かれることすらもなかった過去が思いがけず写真に残されるということもある。
彼の場合はどうか。荒木はいかなる時も(妻と性交渉しているときも、妻が納棺されたときも、ただ彼女とよく散歩した道を一人で歩いているときさえも)シャッターを切り続けている。
空も食事も、数日経てばすぐに忘れてしまうような光景さえも、写真にした。手がカメラになって、指がシャッターにでもなっているのかというほど荒木は写真を撮り続ける。
それはまるで幾度となく修験道を駆け続ける山伏のようですらある。『廃墟で』では、何の変哲もないというには難しく、特別な対象というにはあまりにも対象が多すぎる…そんな被写体が私たちの前に立ち現れる。
花に迫るソフビ人形の怪獣の写真は不穏でエロティックな雰囲気を醸し出す。この世の終わりのような色をした空はモノクロで写した後にカラーインクで着色したものだ。
陽子とともに食事をし、会話をし、写真を撮ったバルコニーの写真を見ると、そこはもうヒビが入りテーブルはすっかり錆びついてしまっていることがわかる。彼女がこの世を去ったあと、バルコニーはまるで廃墟のようになり、生花と愛猫のチロ、さまざまな人形たちが遊んでいる。場所として古びてしまったその場所は生きた事物によってその色を新たにする。
荒木の写真にはしばしば枯れた花や首の折れた人形が登場する。
「一度死んだ方が色っぽくなる」と語る彼は事物の生死、2つの状態を行き来し、事物の最も鮮やかでなまめかしい姿をとらえる。
そうした写真は表層的な「エモい」写真とは違う、味の濃さがある。
彼の写真には物語が付随し、そしてその物語には笑いと下品さと美しさと哀しさが複雑に漂っている。
この上なく大切だった女性を喪った彼のその瞬間の物語を、そして廃墟になった場に留めた記憶を、喪ったその後の物語をどうか見逃さないでほしい。
書き手 上村麻里恵
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