下川町 基幹産業振興と町民の和で再興を 元政策推進課長、田村泰司氏(57) 退職し来春町長選に立起表明
【下川】
14日付で町職員を退職した、田村泰司(たむらやすし)氏(57)が、その翌日、来年4月の下川町長選挙に出馬を表明した。15日午前9時半、町内西町の自宅で記者会見を開き「町は人口減少、少子高齢化、人材・担い手不足、財政問題、公共インフラの老朽化、行財政改革など多くの課題を抱え、地域経済を支える農業・林業・商工業も、取り巻く環境の変化で厳しい状況。
このまま推移すると、町の根幹を揺るがすことになる。町政策推進課長として課題の解決に取り組んできたが、職員の立場では、現状を変えられないと限界を感じた。約40年間役場で勤務した経験を生かし、自分自身が先頭に立ち、地域課題の解決にオール下川町役場で政策を総動員し『ふるさと下川』を守り抜くとの強い決意で立起した」と語った。
田村氏は、1965年1月に下川町生まれ、名寄高校卒業。1983年4月に下川町役場に就職した。2002年に総務省自治大学校卒業。町が市町村合併問題で単独を決めた後、総務課総務・企画財政グループ主査時代に自治基本条例、行政評価と総合計画見直しのマネジメントサイクル、グループ制導入による組織機構改革を提案し、策定に携わった。2016年には町立病院事務長として、病院の電子カルテやCTなど設備充実、改革プラン策定に取り組んだ。翌年には環境未来都市推進課長として、SDGs未来都市認定にかかわるなど、さまざまな業務を推進した。同大学校3カ月間以外は下川に住み続け、町の繁栄と衰退、再興を肌で感じてきた。
11月30日、谷一之町長に退職届を提出。12月14日に退職した。「町長選出馬は昨年秋から考えていた。退職直前まで担当した総合計画審議会や町民会議をはじめ、町民から、町を愛する気持ち、熱い思い、このままではいけないという声を聞き、自分の使命だと一念発起し一人で立ち上がった。後援会組織はない。谷町長の後継者でもない。私は私。改善すべきところを変え、皆さんと共に歩みたい」と言う。
一人で立ち上がった背景に分断を無くす思いがあり「前回の激しい町長選挙の影響もあって、町が二分している。この状態では温かい心を持って、町民が支え合い、共にまちづくりを進めることは困難。一日も早い分断の解消が、私に課せられた役割であり、今の下川町に必要なこと」と訴える。
行政の役割に「町民の命と暮らしを守り育むことが一番の使命。現状維持では、いずれ立ち行かなくなる。課題の先送りではなく、社会のあり方を多面的に見直し、近未来の姿を定め、変革と進化(深化)で課題解決を図りたい。行政で進めるものが本当に必要なものか、町民と議論を重ね意見を反映しながら、新たな政策への挑戦、計画的で効率的、健全な財政運営、優しさのある温かい住民サービスの向上などを念頭に、町政運営を進めたい」と話す。
行財政運営で「町のエンジンである役場の機能や職員の能力を最大限に引き出すため、職員との対話、意見交換をしながら、職員が失敗を恐れず、慎重かつ大胆に積極的に取り組める環境を作り、スピード感を持って進めたい。町民の意見に真摯に向き合い、町民がつながり、互いに支え合い『和を以って』難局を乗り越え『下川の再興』を目指したい」と述べる。
下川の再興を図るために「下川町の持ち味である先輩から受け継いだ『下川イズム』(挑戦、寛容、逆手にとる、不屈の精神、アイデアなど)を次世代に継承していくことが必要。基幹産業の農業・林業を基盤に、原田町政からの地域資源を生かした産業づくりの原点に立ち返って、町の経済基盤を支え、子育て支援や高齢者施策の充実、住宅対策、人材の誘致や育成、教育などの総合的な定住政策も高めることで、人口減少を緩和しながら、住み続けられるまちを創っていきたい」と語る。
今後に「現場に出向いて地域の実態を知り、町民の皆さんとの対話機会を持って、意見を反映しながら政策公約をまとめ、然るべき時期に改めて発表したい」と述べた。
田村氏の出馬の意思を知った谷一之町長が、13日に勇退を表明したことに対し、田村氏は「谷町長が『意中の人』と表現したが『後継者』ではなく『次代を担うリーダー』としての考え」と話し「町を二分したくないが、町を何とかしたい気持ちが強く、現職との選挙戦も覚悟し退職した」と付け加えた。
谷町政の印象への質問に「産業振興で明確な方針が打ち出しきれず、行政改革や財政運営がうまく動いていなかった。移住政策で成果が出ている一方、総合的な定住政策が行きわたっていない。これまでの経験を生かし、そこに力を注ぎたい」と答えた。
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